私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

君塚良一 インタビュー(2005)・『MAKOTO』(2)

f:id:namerukarada:20190209122359j:plain

——事前に監察医の方に取材されたそうですが、なるほどと思ったことはありましたか?

 

君塚:今回の映画のテーマでもあるんだけど、監察医は生者と死者の間を取り持つ。生者の苦労と死者の尊厳を受け止める人間なんですね。まあ、言えば牧師さんみたいなもの。死体はほんとに思いを語ってるってことが確信できましたね。監察医の方は自殺か他殺か直感的に分かるみたいですよ。

 

——そうなんですか。君塚さん自身勘は強いほうですか?

 

君塚:ええ。僕は自分のドラマでもそれをメッセージとして訴えてきたし、それが自分の役目だと思ってきました。しかし時代がそうじゃなくなってきた。自分が40歳過ぎたということも関係あるかもしれないけど。90年代に入ってコミュニケーションが失われ人と人との関係が希薄になってきて、虚無の時代になった。一人一人が何も考えず、批評も想像もせずに生きている。そんな時代に一方的に人間は素晴らしい、なんてメッセージを与えてもダメだろうなあ、と。だからこそ本作では真実をバアーッと鏡のように見せる方法をとったんです。そのほうがリアルだから。

 

——こんな時代にはどうすればいいのか、考えはあるんですか?

 

君塚:わからない。この映画も結論はないんですよ。人はひどい、とも言い切ってない。希望は少しあるけど…。僕が作品を作るのは、「これはなんだろう?」って疑問があった時に作るんです。作品が仕上がった時に結論が出ることも、出ないこともある。これは出なかった。人はこうである、というのは出なかった。だからこそ、別の題材でまた追求していくんだろうけど、

 

——答えはあるんですか? ご自身の中に。

 

君塚:もしかしたらこの脚本を書いていた時、僕は少し絶望していたのかもしれない。それが映画に反映されたのかも。もう少ししたらこんな時代にも出口があるかもしれないと思うかもしれない。『MAKOTO』の後で書いたドラマ『さよなら、小津先生』では希望を書きましたね。知らない人が助けてくれるという結論でした。その時はそういう思いだったんでしょうね。それに、これまでも『踊る〜』みたいな作品も書きますし、すべて真実を暴くみたいな苦いものばかりを書くってわけじゃないんです。

 

——作品にその時々の気持ちが出てしまうんですね。

 

君塚:嘘つかないでものを作るとそうなりますね。

 

——なるほど、脚本家として日々心がけていることはありますか?

 

君塚:脚本家って基本的に一人でする仕事なんで、いかに自分をコントロールできるかが大事なんです。自分を追い詰めて力を発揮させられるか。自分を管理しなくちゃいけない。そのためには妥協しないとか、自分の好きな題材を選ぶとか、生活のためだけで仕事を引き受けないとか、ですね。

 

——萩本欽一さんに師事されてたそうですね。

 

君塚:もともとコメディが好きだったのと、先輩に「脚本をやりたいんだったらまずマスコミに入れ。バラエティやりながらでもドラマの脚本は勉強できる」と言われて萩本さんを紹介されたんです。パジャマ党という作家集団で、すぐに仕事があってバラエティを書いてました。そこには5、6年いましたね。萩本さんから学んだことは笑いの質です。品のある笑い。プロなら下ネタやダジャレだけでなく、脳の中でクスッと笑うようなものを目指せと。人をキチンと描いて、本人は大真面目なんだけど、傍から見たら可笑しいってのが一番のコメディだからそこを突き詰めなさい。笑いをバカにするな。深いんだってことを学びました。

 (『MAKOTO』にも笑いを)サービスで(笑)。どうしても体質的に入れちゃうんですよね。

 

——じゃあ最後にこの映画についてひとこと。

 

君塚:物語としてはいろいろ事件も起きて飽きさせないし、人間の持っている善と悪の両面性を描いて、ラストの結論は出していない。いろいろ想像して考えて見てもらえればいいですね。つづく

 

以上、サイト “This month Pick up Artist” より引用