私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

君塚良一 インタビュー(2002)・『脚本通りにはいかない!』『ホーム&アウェイ』(1)

f:id:namerukarada:20190128234928j:plain

 脚本家の君塚良一が映画のシナリオについて批評した『脚本(シナリオ)通りにはいかない』(キネマ旬報社)。ただべた誉めしているだけのものも混じっているが、的確に感じられる論考もあり、あなどれない1冊である。

 君塚がその本と『ホーム&アウェイ』(2002)について述べたインタビュー(2002年11月掲載)があったので、以下に引用したい。用字・用語は可能な限り統一した。

 

 「映画から脚本を読み解くというテーマで、原稿をお願いできませんか?」って依頼があって、この本(『脚本通りにはいかない!』)を書き始めたんです。

 他にも動機は2つあって。ひとつは、「脚本は」という主語の批評があまりないってことなんですよ。

 映画の批評って、多くは物語について語ってますよね。でも、主語は「この作品は」とか「この監督は」になっている。物語の7割から8割は脚本家の仕事なのに。じつは脚本について語ってるのに「脚本は」という主語になっている批評はほとんどない。だから、映画から脚本を読み取る方法で映画を批評する、語る、分析するというものをやってみたいと思ったんです。

 もうひとつは、ぼくがいわゆる映画青年だったころに観た映画が、なぜぼくのこころに届いたのか、あんなにワクワクしたのか、どうして感動したのか、何度も観てしまったのか、そういったことを、これを機に確認してみたかった。10年ぶりとか、ひさしぶりに観て、今度は冷静に観ることができて、あぁここでハマったのか、ここで感動したのか、そういったことを分析する。自分自身の検証ですよね。

 観なおして、おもしろかったのもあるし、なんとも感じなかったのもある。物語じゃない部分にハマってたのもある。『フラッシュダンス』や『小さな恋のメロディ』は、かなりの部分、音楽で感動してた。『桃尻娘 ピンクヒップガール』は竹田かほりさんっていう女優さんにハマってたんだなぁ。映画って、そういったいろんなハマり方ができるから凄い。

 

 この本では、再度観た作品を中心に新しい作品もいくつか扱いながら49作品の脚本分析をしていった。

 それに内容的にリンクしている「シナリオ講義」(シナリオ学校で行った講義の採録)を載せています。それまでの脚本を書くための講義って、心で書けとか、自分の人生をふりかえれとか、すごく観念的なんです。もちろんそうなんです、究極はそうなんですよ、ものを書くことって。でも、それは一度、置いておいて、技術論、テクニック論を語ろうと思った。だから、この講義に欠落していることって、最後は心なんですよってことです。でも、それは語れないんですよね、生き方なんですよ結局は。

 多くの面白い脚本を書いている人は無意識にやってるんです。最初から、三幕にしようなんて思ってやってないですよ。『踊る大捜査線』も、ぎゅぎゅっと詰めていくと3日の話に、結果的になっただけで、三幕にしようとしたわけじゃない。

 たとえば『ひまわり』のところで具体的に解説している「ズラシの手法」。最初の感動の頂点をピンポイントで終わらせないで、ものに置き換えながらズラしていき、感動を持続させていく。これがズラシの手法です。北川悦吏子さんとかがよくやっている。本人は、よしズラシだってやってるわけじゃない。無意識にやっているはずですよ。分析の法則で書いた脚本はない、結果的にそうなっただけなんです。 

 脚本は数式じゃないんです、エラーが起きているから、ダメっていうものじゃない。

 『わらの犬』を冷静に観ると、脚本家がすごく迷っているのがわかってくる。そういうところでぼくも一緒に迷って、ハマったんです。エラーのままいっちゃうことってあるんです。ぜんぜん気づかないときや、気づいてもそこをなおすことよりも他にやらなくちゃならないことがたくさんあるときとか。

 後から、批評としてね、エラーで見えてない部分を、わざとあそこを見せなかったのがいいという声も出てくる。いろんな見方ができるからいいんですよ。 

 自分の作品でもあります。テレビドラマって時間がないんで、エラーが起きちゃうなんてのはいっぱいある。そこをまんまにしておいて結果的に良くなることもあるし、強引に修正して新しいことを発見したりすることもある。 

 『ホーム&アウェイ』(フジテレビ系放映中/月9:00〜)は、スクリューボールコメディというジャンルです。映画では『ラヂオの時間』や『アフターアワーズ』や『ベビーシッター・アドベンチャー』といった傑作があります。

 けど、連続テレビドラマではなかった。無理だとされていたんです。そりゃそうですよ。登場人物が少ないし、場所がどんどん移っていく。でも、あえて、それをやってみましょうというのがありました。もともとダメだと思ってたものをすくい上げていかなくちゃダメという状況になってる。普通のことをやっていてもダメ。それでは現実にかなわなくなってきているから。

 去年のテロ(2001年の9.11テロ)や、訪韓からの一連の事とか。あれは、現実をカリカチュアしちゃったってことですよね。現実をカリカチュアするのは物語だったのに、バッティングしている。ドラマを作るってことが難しくなってきている。

 『ホーム&アウェイ』は、昔の東芝日曜劇場のような一話完結をやってるようなものだっていうのもあります。この回で終わってもかまわないって感じでやっています。それは2時間とかのスクリューボールコメディにはない部分ですね。

 他にも、プロデューサーの戦略として「つっこませるドラマ」だ、そうやって話題にさせなきゃダメだ、というのがありますね。

 でも、どんなつっこみも実は間違ってるんですよ。自衛隊が強制的に連れもどそうとしても、ドアの前で最後に手をくだすのはぼくなんです。だから絶対帰れない。なにがあったって帰れない。ドアの前で、ぼくがミサイルを撃ち込めばいいんだから。だけど、あれをみんなが真面目に思うってことね。反論して言ってるのも、いただきっていう感じですね。書いてるのはぼくなのに、そんなの帰れるだろうって言ったって、帰れないんですよ。つづく

 

以上、Excite エキサイト ブックスより引用。

 

【関連記事】君塚良一 インタビュー(2005)・『MAKOTO』(1)