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高田宏治 × 伊藤彰彦 トークショー レポート・『笠原和夫傑作選』(4)

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笠原和夫の作家性 (3)】

高田「あまり人のホンのことは言わなかった。ぼくは五社(五社英雄)さんと『鬼龍院花子の生涯』(1982)とかやったけど、言わば男を上げたわけや。その後で笠原さんは五社さんと『肉体の門』(1988)をやった。高田の後を行くわけで、笠原さんらしいシーンもあったけど。『吉原炎上』(1987)は入れ込んで五社さんと書簡のやり取りもして、五社さんが“高田は笠原和夫さんとおれが仕事してて、やきもち焼いてる”って。そんなことはないんだけど、入れ込んで調べたけど、でも結局できなかったね」

伊藤「ご病気で原案ということになり、中島貞夫さんが引き継がれました」

高田「そのあたりで、体力的にも迷路に入っていかれた感じかな。

 (最後に会ったのは)受賞記念のパーティだと思う。車椅子で。覚えてるのは、その前に『二百三高地』(1980)で胃がんになって、新宿の病院に見舞いに行ったんですよ。小林旭菅原文太みたいな話したのよ。賞ももろうたんだし、もうちょっと無理せんと気軽に書いたらどうですかって言うたら、“高田くん、そういう名誉抜きにして脚本家に何がある?”って。びっくりした。

 ただ相反してるのも魅力で、天皇制どうする言うてても、天皇からもらった賞状喜んで抱えてたり(一同笑)」 

【その他の発言】

高田「映画は監督のものでいいと思ってますよ。そして俳優さんが真っ先に浮かんだりする。大学入試に通ったとき、初めて女の子と見に行った映画、まじまじと覚えてるけど浮かんでくるのは俳優さんの顔だね。新宿で『トロイのヘレン』(1956)を見た。ロッサナ・ポデスタは永遠のぼくの恋人だね。こないだ『虎狼の血』(2018)のキャンペーンで玉袋さんとその話して、その日の夕方に見た富士も忘れないって言ったら、“したら何で松竹入らなかったんですか?”(一同笑)。

 やくざの定義というのは山口組三代目からですよ。正業で生きていけない者。当時は前科者になると就職できなかったから、そういう連中を誰かが囲ってやらないと世の中に犯罪は広がっていくし、世の中に犯罪は広がっていくし刑務所では矯正できない。だから抱えてやろうと田岡(田岡一雄)さんが宣言したわけ。それからやくざができたと思う。その以前はみな正業を持っていた。博打というのは、正業を持つ者の互助組合ですよ。結婚式や葬式の興行で、花代を合法的に上げる。博打は命の取り合いで、サシの勝負。極道とは、やくざは言わない。普通の人が使う言葉ですね。『日本侠客伝』(1964)とかは稼業の話だわ。

 ホン読みは撮影所長や監督が並んで、その前でぼくが読む。ぼくの師匠は比佐芳武で、読んでて自分のホンが面白くないと声を張り上げてみんなをにらみつける。で、直しが出ない(笑)。ひとつのドラマでも、人間の進路は無数にある。幾通りも考える。『鬼龍院花子の生涯』は、ホン読みで即興でつくった。

 昔は、いまみたいに人権だとかコンプライアンスだとかがたがた言わなかったから、長野の少年刑務所に取材に行ったら、いま面会に来てるから横で聞いてたらいいちゅうのよ。18〜19の男の子が面会してる横で聞いたですよ。録音はしなかったけど。高松の被差別部落の出身で、兄が犯罪をしたから妹は村八分。会いたいから脱獄して会いに行ったら、妹が結婚してて、その相手はハンセン病。地獄になってて、それで兄はまた犯罪をして刑務所へ。運命のいたずらだね。

 取材では田岡さんや殺人犯にも会ったし、『民暴の帝王』(1993)ではやくざに狙われてるジャーナリストにも会ったよ。話してても、いつ殺されるか絶えずびくびくしてんのよ。いろんなことありました。

 人間ってどっかで喋りたいところがあるんだね。自分が隠してきたことも。やくざはだいたい喋ってくれます。

 『鬼龍院花子の生涯』のときは、夏目雅子の役のモデルになった人が撮影所に訪ねてきたんですよ。修道院にいる上品な婦人で、手をついて止めてくれと。もう撮影入ってて、強行したらこの人死ぬんじゃないかとも思ったけど。それでも映画人は、やってしまうんですよ。川内(川内弘)さんの『北陸代理戦争』(1977)もそうだったね」

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 高田「やくざは活字を見てもあんまり怒らない。読めないのかね。映画でやると怒るんだね。『山口組外伝 九州進攻作戦』(1974)でも(モデルの)平尾国人なんてほんとはスターが演じるような人ではないのに、かっこよく描いたから、あんなかっこよく書いた作家つれて来いって。俊藤さんが“いやいやいや”って言ってごまかして、それ映像に記録されてるよ。そのビデオもどっか行っちゃったけど(笑)。

 映画人はめちゃくちゃで、『北陸代理戦争』でも川内さんを後で殺すのが山口組の人だけど、『日本の仁義』(1977)のモデル。2本のスタッフルームが隣で、会わないように。そんなこと平気でやってるんだから(一同笑)。

 怖いもの、パンドラの箱や。それを開けないと。悪魔と打出の小槌はいっしょに入ってんのよ。死神と幸福の神とはいっしょにおる。怖さの中で映画をつくらないと力がない。

 映画はパターンが決まっていて、40年くらいやってるとAIになってくる。ワープロの時代に飲んで帰ってきて、明日出すから仕上げしようと思ってEnterのかわりに消去押した。あっと思ったけど間に合わない。NECの本社に電話して大騒ぎしたけど“それだけはダメです”と(一同笑)。映画はクランク・インが遅れると1日500万円飛ぶ。だから酔いも醒めて、あくる日の昼まで全部もう1度書いた。ほぼ頭にある。AIになるんです。

 いま久しぶりに東映に頼まれてホン書いてる。小説書いたら売れなくて、いまの奴らには判らんな。じゃあ映画をやったろうということで。凝りすぎて往生してますけど、寝られない。頭の中でホン書いてる。目覚めるのは歳もあるけど、何してても仕事から離れられない。笠原さんは、ぼく以上に息抜きのない人だったから。

 しかしすごい本ですね。こんなもんよう残してるな。出るの予定して死んだんかな。ぼく、何にもない。芸者さんと遊んだし、女優さんの手紙もあったけど、残しときゃよかったな。夏目雅子の手紙とか。引っ越し手伝いに来た奴が持ってくのよ(笑)」

 

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ひどらんげあ おたくさ

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