遠藤(遠藤周作)さん、祐子(祖田祐子)さんと知り合ったことで、絶望して死ぬのでなくて次の世代に明るさを見出していたのではないか。
「永遠のみどり」という小説ですけど、彼女が緑色のドレスを着ていた。原さんが亡くなった年は朝鮮戦争が始まって、また原爆がどこかに落とされるという不安があって、そのために自殺したんじゃないかという説もあります。でも絶望だけではなくて、自分は死んでいくけれども、若い人たちに希望を託していたんじゃないかと思います。
「いつも僕は全く清らかな気持で、その美しい少女を懐しむことができた。いつも僕はその少女と別れぎはに、雨の中の美しい虹を感じた。それから心のなかで指を組み、ひそかに彼女の幸福を祈つたものだ」(「心願の国」)
まだ雨はやんでいないけど、虹が見えている。ときどきそういうことありますよね。雨はやまない不安な時代だけど、虹は見えてる。彼女や遠藤さんに託したものがきっとあるんだと思いました。
祐子さんに2回取材したんですが、門の前で見送ってくださって、私が曲がるとことで振り返ったらまだ門のところに立っていらしたんですね。いろいろ人生をお聞きしたんですが、とっても幸せになられていて。原さん、あなたが幸福を祈った祐子さんはこんなにお幸せですよって心の中で思いました。
ほんとは今回のタイトルは“雨の中の虹”がいいんじゃないかと思ったんですけど、タイトルは人の名前ですと言われて(笑)。でもサブタイトルが“雨の中の虹”だとロマンティックすぎて、ちょっとはずかしいかなと、こういうタイトルになりました。
原さんは、一般的にはダメな人なんですね。大学も8年間くらい行ってますし。左翼活動に走っちゃって、結婚しないと仕送りを止めると言われて仕方なくお見合いしたら当たりだったと。その後も人生の中で1回も正業に就いていないんですね。ちょっと非常勤で学校の先生をしたけど、学校が嫌いなんですね。いじめに遭ったり、旧制中学校の5年間でひとことも口を聞かなかったと。先生も生徒も彼の声をひとりも聞いていないと。でも家が裕福だったのと、勉強はできたので、慶應大学へ進んでいます。結婚しても仕送りで、世の中の役に立つことはしていないんですね。生産性ゼロな人なわけですが(一同笑)。ボランティアも何もやってない。別にそれでいいじゃんという感じがしていて、何かしないといけないというのは全然ないのに、みんなこの人のことをほっておけなくて、亡くなった後本1冊になるくらい追悼文が書かれています。人の悪口も一切言わなくて、挨拶もできないし、お礼も言わない。個人的なことをつぶやくように書いて、「夏の花」が例外です。叙情的なことだけ書きたかったと思うんですけど。世間の役に立たない人が、戦争の時代に生まれて原爆に遭ってしまって、これだけは書き残さないといけないと思って書いたんですね。眼の前に展開していることを、書くべきだと思って書いたんじゃないかなと。作家じゃなくても、普通に生きて死んでいくだけでも別にいいんじゃないかという気がするんですね。そういう人が書いたものだからこそ、時代を超えて、彼と同じような生きづらい人の心にとどくんじゃないかなと思うんですね。
「僕がこの世にゐなくなつても、僕のやうな気質の青年がやはり、こんな風にこんな時刻に、ぼんやりと、この世の片隅に坐つてゐることだらう」(同上)
彼のような人がいまもいっぱいいて、隅っこでぼんやりするだろうなあと。いま読むと時代を超えて、同じような人がいたなあと。それでいいんじゃないかなと思うんですね。
「僕は一人の薄弱で敏感すぎる比類のない子供を書いてみたかった。一ふきの風でへし折られてしまふ細い神経のなかには、かへって、みごとな宇宙が潜んでゐさうにおもえる」(同上)
生産性がなかったり弱かったりするのは価値がないのかなっていうとそうでもないんじゃないかなと。元気を奮い起こすのとは違った意味で慰められるというか、だからいま原さんを読んでほしいなと。
引用がすごく多いんですが、あえて多くしたんですね。原さんの文章に触れてほしかったんです。だからこの厚さと判型にしたところがあります。原稿を書くのはつらいんですが、引用する詩を選ぶのはすごく愉しくて。いま生きている人に原さんの声が届けばいいなと思っています。
- 作者: 梯久美子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2018/09/20
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る