私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

四方田犬彦 トークショー レポート・『親鸞への接近』(1)

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 『白土三平論』(ちくま文庫)や『「七人の侍」と現代 黒澤明再考』(岩波新書)、『ソウルの風景 記憶と変貌』(同)など膨大な著作・研究で知られる映画史家の四方田犬彦。彼が珍しく?親鸞についてつづったのが『親鸞への接近』(工作舎)である。

 刊行を記念して、8月に四方田氏のトークショーが行われた。四方田氏は喉の調子が悪くひそひそ声で話し始めたが、興が乗ると次第に声が大きくなっていった(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。 

 

 ひそひそ声で喋るってのは、親鸞法然上人にかなっているのかもしれないので(一同笑)。法然は本を書かない人で、話す方。著作は聞き書きで、ひそかに喋っていたらしいです。親鸞も真似をして本の中で、ひそかに考えるみたいに繰り返し言う。そっと静かに考える。日蓮みたいにシュプレヒコールをやるような人じゃないんですね。しみじみと喋るらしい。

 きょう朝起きたら、突然ひそひそ声になっちゃったんですね。引っ越しの準備をしておりまして、冷房つけてほこりだらけで、外は暑い。風邪を引きまして、声が出なくなっちゃった。きょうはお許しください。

 

 私の本を読んでくださった方はびっくりされると思います。何で映画評論家が親鸞について書くの?とか、そういう人だったのとか(笑)。本屋さんに“誰にでも判る『歎異抄』”みたいな本はずらっとありますね。五木寛之の『親鸞』(講談社文庫)とかバロン吉元のマンガとかもいっぱいあります。

 私も60歳を過ぎて親鸞について本を書くとは考えてもいなかった。親鸞は苦手で、22くらいから遠ざけていたんですね。大学で宗教学を勉強して、めちゃめちゃな生活をしていた人が偉いお坊さんになるとか、そういう改心のゼミなどに出席してたんです。映画は学校で教えてもらうことでなくて、でもそっちにそれていっちゃうんですが、ちゃんと勉強してれば大学院も宗教学で島田裕巳とかも同級生だったかもしれません。卒論は宗教学で、日本の大学には映画の理論や映画史とかはなかった。実技はありましたけどね。

 6年前に明治学院大学を辞めた後、東大で宗教学の先生をやってたんですね。聖人についての研究をやってて、講義録を出そうと思ってたら2400枚になっちゃって、800枚にしてくれって言われて、いま縮める作業をしてます。マジな研究の本ですが、この親鸞の本も古巣に戻ったみたいな感じなんです。

 親鸞の知識についての本ではなくて、この本を読めば親鸞のことが判るとかそういう本では全然ない。そういう本は他にいっぱいある。どういう本かと言いますと、私がいかに親鸞を避けてきたかという(一同笑)。30年くらい。その後で親鸞を読み始めたけれども、これを認めちゃうを自分がやってきたことがダメになってしまう、足下が崩れちゃうような不安を感じながら、10年くらいずっと読んできた記録の本なんです。

 

 日曜学校の先生やったり、外国で日本語教えたり、日本の大学で映画を教えたり、人に教えるということを仕事にしてきましたけれども、最後の10年はそういうことに対して、疑いの心を持つようになっていました。人が知らない知識を持っているということだけで、それを職業にしていいのか。大根を植えたり、まぐろを釣ったり、生産的なことを仕事にされている方がたくさんいる。それなのに、知識を詰め込んで他の人に移すというのが職業として成り立つんだろうか。趣味としてはいいかもしれないけど、無償でやるべきことじゃないか。生業とするのは違うんじゃないだろうかと思うようになってきました。

 大学がこの15年くらいで変わってきた。無償に知識を分配するということがだんだんできなくなってきて、教授や准教授は点数で評価される。英語で論文を書くと4点、日本語だと2点とか、翻訳とか。発表は海外でやると1点、国内だと0.5点とか。そういうふうに数量化されるわけです。1920年代のフランスの写真について研究していらっしゃる人がいるわけですが、その人にフランス映画についての論文を見てもらおうとしても専門が違ってできないとか、教える側も細分化されて数値によって管理される。学ぶ側もどう単位を取るか、留学すると就職に差し支えるとか、知らない知識に対する冒険をしなくなってしまう。ルネッサンスのころに大学は、学生が互助組合をつくってお金を出し合って先生を雇って始まった。知識は無償であるべきで、教師は勉強したばかりのことを学生に教えるとか。そういう知識をあげたり受け取ったりする大学のあり方が、なくなってきている。大学で時間を費すより、ものを書いたり、いろんな人と話したり、自分で勉強したりしたい。60になったときに辞めちゃったわけですけど。軽量化されて管理される。1年の教える予定表も提出しなきゃいけなくて、外れたことをやったりすると、親がクレームをつけてきたり、訴訟になったりする。先生がクリエイティブに勉強しながら教えるということは、とてもできない。日本が滅びるというのは、こういうところから始まると思います。

 

 既に自分が知ってることを人に教えるだけでよいのか。日本映画で有名なのは見てるし、この映画の美術監督は誰だとか、グーグルで検索すればもっと正確かもしれませんが、そんな情報を教えるってことが仕事かとばかばかしくなってくる。人を介さなくても知識は入ってくる。知識の伝達を超えたものを、伝えなければいけない。そういうときに、12〜13世紀の哲学的な革命家たち、法然親鸞道元がどんなふうに弟子と向かい合ってどんな話をしたか。単なる知識じゃないあり方に、何かがあると考えるようになりました。(つづく) 

親鸞への接近

親鸞への接近