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大江健三郎へのコメント(谷川俊太郎、立花隆、井上ひさし、いとうせいこう、河合隼雄)・『大江健三郎小説』

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 1996年に刊行された『大江健三郎小説』(新潮社)に、著名人5人が推薦コメントを寄せている。宣伝用の冊子に書かれたそれを、以下に引用したい。

 

 谷川俊太郎 再読の楽しみ

 書き物を読んでいるだけではわかりにくいかもしれませんが、大江さんという人は会って話をしていると実に魅力があります。無邪気な自慢もするし、くだらない駄洒落もとばす、ユーモラスに人の悪口も言うし、返す刀で自分を道化にもする。そういう人柄のおもしろさは、大江さんの書く小説とどんなふうにむすびついているのでしょうか。その興味だけでも、私は大江さんの小説を再読するのを老後の楽しみのひとつにしています。

 

 立花隆 「魂のことをする」ために

 「ぼくはもっと魂のことをしたいと思います」という、大江健三郎の小説の主人公のセリフが、心の中によみがえってくることがときどきある。それは、この世界のありように絶望を感じているときであり、自分の生き方に疑問を感じているときでもある。最近その頻度が以前よりも多くなっているような気がする。

 そういうとき、何もかも仕事をおっぽり出して、しばらく大江健三郎を読むことに熱中したいと思う。真剣に大江健三郎を読むということは、確実に「魂のことをする」ことになると知っているからだ。

 

 井上ひさし すばらしい飛翔感

 大江さんの小説は切実きわまりない個人的な体験から始まる。その独特なヒューモアと比喩とをみごとに駆使したみずみずしい文体、しかもこれまでにない新しい日本語文に酔いながら読み進むうちに、いつのまにか救い主としての宇宙的感覚へと運ばれて、そのことで励ましを受けているのを、ぼくはいつも実感する。個から普遍へ、私小説から世界小説へ、辺土の深い森から銀河系の透き通った星の林へと、すばらしい飛翔感。世界のごく一部にすぎなかった小説がついにはこの世界を丸ごと包み込んでしまうという奇跡。大江さんの小説をひもとくことはこの奇跡に参加することだと、読むたびにおもうのだ。

 

 いとうせいこう 森のアーカイヴ

 重層的な大江文学の世界を満喫したければ、まとめて読むという行為が有効だろう。それが十年がかりであってもいい。まとめて読むことへの意識さえあれば、テキストはいつでもゆったりと待っていてくれる。その過程で我々は、「大江文学の難解さ」が単なる神話に過ぎないことを知り、森の土壌の下でつながり合った作品同士の交通を発見し直すことだろう。選ばれた小説群を見渡せば、「森のアーカイヴ」という言葉が響いてくる。

 

 河合隼雄 現代に生きる上での深い示唆

 現代人の「癒し」について、大江健三郎さんの著作から学んだことは計り知れぬものがある。それは現代人の多くの傷を我身のものとして受けとめ、その苦痛の癒しの過程から生み出された貴重な記録である。今回の「自選小説選集」によって、最新作『燃えあがる緑の木』へと結実してくる大江さんの体験過程をなぞることができるのは有難い。現代に生きる上での深い示唆を与えてくれる全集として、ここに広く推薦したい。

 

 それにしても立花隆の「それは、この世界のありように絶望を感じているときであり、自分の生き方に疑問を感じているときでもある。最近その頻度が以前よりも多くなっている」というコメントはすこぶるかっこよくて笑ってしまう。

 

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