私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

大江健三郎 自作解説(1996)・『大江健三郎小説』

f:id:namerukarada:20180715205712j:plain

 1994年にノーベル文学賞を受賞した2年後、大江健三郎の自選集『大江健三郎小説』(新潮社)が編まれた。

 その際に配布された冊子に、大江が収録作品について短文を寄せているので、以下に引用したい(この自選集から22年を経て『大江健三郎全作品』〈講談社〉の刊行が始まったので、引用者は久々に思い出したのだった)。 

 私の小説が森のようであることを

 子供の頃からの、私の理想の表現形式は、森だった。森が表現形式だろうか? その通り。朝であれ、真昼であれ、夕暮であれ、月夜、星空のもとであれ、真暗闇の嵐のもとであれ、谷間から見あげてもっとも美しいものを表現しているのが森だった。そして森をさらによく見ると、きわだつ樹木があった。森に入って行けば、私にはよくその総体を認めえぬほどに、樹木がみちあふれていた。一本の枝、一枚の葉に眼をとめても、ただひとつの大切なそれをとらえつくせない、と感じた。おそらく、私が死の時まで保ってゆくはずの世界認識がそこにある。私が若くなにも知らぬまま小説を書きはじめた時、そのかたちに自信を持っていたのは、樹木というモデルがあったからだ。いまそれらすべての小説を見わたして、私は「小説全十巻」を編集する。いちいちの樹木のかたちを見つめ、それらが全体として森になることを希求して

 

 1.『芽むしり仔撃ち』と初期短篇Ⅰ

 私は、これらの短篇によって、小説を書きはじめた。まだフランス文学科の学生で、小説に書くほどの人生の経験もない、と感じていた。私に確かなものがあったとすれば、少年時から翻訳をふくめて日本語の小説を読み続けてきたこと、そして英語とフランス語で、現にいま集中的に海外の新しい作品を読んでいることだった。それをつうじて小説の文体の感覚は作られていたから。しかし、いったん短篇を書きはじめると、戦中の地方の子供として生きた記憶が、私にむけて雪崩れかかるように現れてきた。 

 

 2.『個人的な体験』と初期短篇Ⅱ

 亡くなった武満徹のもっとも愛してくれた作品が『性的人間』だった。雑誌に載った翻訳にN・メイラーが強い関心を示してくれているとも聞いた。仕事をはじめたばかりの若い小説家が、自分のいま生きている現実と表現をどう結びつけるのかに、力をつくして試みをかさねていたのだ。ところがその実生活を、障害を持っている子供の誕生が一撃した。私は、正面から書くことでしか乗り越えられない人生の危機のただなかに入ったのだった。 

 

 3.『万延元年のフットボール』『われの狂気を生き延びる道を教えよ』

 自然発生とでもいうような仕方で小説家になった自分を、十年たって、意識的に、本当の小説家に変えたい、とねがいはじめていた。そのうち、森のなかの谷間の子供として経験した不思議なかたちで生きる神話、歴史と、子供の想像力でそれを受けとめた物語がなにより重要だとわかった。『万延元年のフットボール』にそれを書き、やっと新しくなった小説家として、ブレイクやオーデンに学びながら、同時代を生きる自分についても、苦しい現場報告のように小説を書きつぐことになった。 

 

 4.『洪水はわが魂に及び』『ピンチランナー調書』

 鳥の声しか聞きとることのできない、障害のある幼児と、社会とのつながりを切った父親との共生。それはこの時期の私の、若い作家としての日々に社会生活はあったけれど、一歩内面にふみこめば、そのまま私の家族の肖像であっただろう。さらに私は、この世界の終り、という強い予感にとりつかれていたのだった。『洪水はわが魂に及び』は、ひとつの悲劇として、『ピンチランナー調書』は、喜劇として、しかしそれぞれに迫ってくる緊張感の中で書いた。

 

 5.『同時代ゲーム』『M/Tと森のフシギの物語』

 ラブレー学者渡辺一夫の死の直後、メキシコ・シティーで教職についた。そこで私はラブレー研究が文化人類学にみちびいたグロテスク・リアリズムの世界観を、これまでに書いたどれよりも大きい小説に盛りこもうと考えた。それは描きつづけてきた森のなかの谷間の神話と歴史をあらためて綜合しなおすことだった。そのようにして自分の想像力に新しく解放するきっかけをあたえたかった。次いで、その『同時代ゲーム』を、生きた声による語りのレヴェルに移して、『M/Tと森のフシギの物語』を書いた。

 

 6.『キルプの軍団』『治療塔』『治療塔惑星』

 これらは、若い友人たちに向けて、それまで自分になかった語り口を示そうとしたものだ。主題はしかし、ほかならぬ自分にとって深い切実さで生きてきた。『キルプの軍団』ではディケンズを、『治療塔』『治療塔惑星』ではイェーツを、主題のイメージ化の支えとした。近未来のSFの形式をとった、後の二作の語り手は若い娘であり、先の作品の語り手は若者である。ともに若い人間のこうむらざるをえない時代からの傷と、それをみずから治療していく過程に、年長の小説家としてではあるが、自分の身をよせるようにして書いた。

 

 7.『「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち』『新しい人よ眼ざめよ』『静かな生活』

 作家生活の第二期と思いさだめた時から、もっぱら長篇を書いていた。四十代なかばに、あらためて短篇に気持をひかれた時、救命ブイのように眼の前に浮かびあがったのが連作の形式だった。『「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち』は、最初に書いた短篇がどのようにして連作を呼び出したかを、そのまま示している。そしてブレイクを読んでゆくことと、長男光との共生の深化とをかさねた『新しい人よ眼ざめよ』は、私にとって連作形式がどのように本質的なものかを、思い知らせることになった。『静かな生活』は長女の視点から、光との共生を再照射した。

 

 8.『河馬に噛まれる』と後期短篇

 私の作家生活の後半にあるすべての短篇をここにおさめた。そこにはメキシコからアメリカ西海岸にいたる生活を反映したものや、あらためて四国での幼・少年時にたちかえっての作品がある。いくらかの時をおいて『新しい人よ眼ざめよ』をおぎなったものもある。それらの中で中心のかたまりをなしているのは『河馬に噛まれる』にはじまる連作で、「連合赤軍」の事件に私がいかに揺り動かされたかを、いまあらためて考えるのである。それが時代と自分とにつけた傷から、終生よく恢復しえないのではないかと…

 

 9.『懐かしい年への手紙』『人生の親戚』

 『芽むしり仔撃ち』『万延元年のフットボール』そして『同時代ゲーム』と、それぞれに書いた森の谷間の小宇宙を、なんとか一度統合したい、という構想を抱いていた。自分の生涯の師匠(パトロン)と呼ぶべき人物ギー兄さんを作りだし、そのまわりに、ダンテにみちびかれて想像をかさねてきた魂の場所をめぐる神話と歴史を集めて、星座(カンステレイト)を作らせようとした。それはこれまで書いた自分のすべての小説のメタ・フィクションをめざすことにもなった。一方で、『人生の親戚』は、個としての癒しがたい傷を、時代のなかで生きぬくことに重ねる女性を描きたかった。

 

 10.『燃えあがる緑の木』

 私は三十五年をかけて、小説家としての自分を作った。ほかに何を作っただろう? 小説を書き、読むことをつうじて、現在にとどまらず、過去に深く生き、そして未来に向ける眼の力をかちえることを望みながら、人間と同時代をとらえようとしてきた。しかしそれは、繰りかえしのきかぬ現実の生において、一体どのような営為であったのか? 「しめくくりの小説」として、この三部作を書いたのは、老年の入口でそれを検証しないではいられなかったからだ。もし本当に小説を再開することができたなら、この足場に立って、新しい確信を、またそのかたちを表現したいと思う。  

 

【関連記事】大江健三郎へのコメント(谷川俊太郎、立花隆、井上ひさし、いとうせいこう、河合隼雄)

大江健三郎 作家自身を語る(新潮文庫)

大江健三郎 作家自身を語る(新潮文庫)