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森昌行と奥山和由・北野武映画をめぐるふたり

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 ビートたけし北野武)が所属事務所のオフィス北野を退社し、たけし軍団森昌行社長を非難して話題になっている。報道によれば森社長が筆頭株主となって会社の乗っ取りを企んだとのことで、ビートたけしも冗談めかして「一番裏切る奴は、一番よく働く奴」などとコメントし森は悪党扱いだが、森の反論(「週刊新潮」2018年4月12日号)を読むと本当に彼に大きな非があったのかはいささか疑わしい。そしてこのニュースには何か既視感を覚えなくもない。

 筆者が森昌行の名を初めて知ったのは、北野武監督の映画『HANA - BI』(1998)が第54回ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を受賞した後の記事だった。

 

監督兼脚本・編集・主演——。映画監督北野は、すべてを切り回すマルチ人間に見える。だが、一皮めくると意外な実像が見えてくる。ある人物抜きに北野映画は成り立たないのだ。「オフィス北野」社長の森昌行(四四)。テレビ番組制作会社の敏腕ディレクターだったが、十年前に北野に引き抜かれた。

「武さんは自分の考えを順序立てて構築していくタイプじゃない。あの人がバラバラに点で発想したイメージやアイデアを、ストーリーにしていくのが私の役目」と打ち明ける。

 ここ数年、北野は「フラクタル」(仮題)という空想と現実が混在する難解な作品を撮りたがった。それでは客が入らない。

 若者や夫婦愛をテーマにした作品を作らせ、ベネチアへと導いたのは森だ。グランプリ受賞作「HANA - BI」のタイトルを考えたのも、森である」(「朝日新聞」1998年1月1日)

 

 元旦に大胆な内容だけれども、いま読み返すと北野礼讃ムードに水を差してやろうという記事の“匠気”に苦笑する。つづいて月刊誌にも曝露めいた記事が載った。

 

実は「HANA - BI」にはたけし以外に「もう一人の監督」がいたのである。そして、その「もう一人の監督」が「ヨーロッパは暴力表現に対する規制が厳しいから、きちんと理由付けをしよう」といったアドバイスをし、たけしの鋭い、しかし分裂症的な映像センスを巧みに誘導して、全体をベネチアで賞を獲れるレベルの完成された作品にまとめあげたのだ。

 では、その「もう一人の監督」というのは誰なのか。他でもない、たけしの事務所「オフィス北野」の社長で、たけしの映画ではずっとプロデューサーをつとめてきた森昌行である。たけしの映画に関わったことのあるスタッフが絶対匿名を条件にこう話す。

「森さんは撮影中、ぴったりたけしさんにはりつき、撮影が終わるとラッシュを一緒に見てディスカッションする———完全に影の監督でした。例えば、「HANA - BI」のラストで岸本加世子さんが呟く台詞があるでしょう。あれ、たけしさんは「ありがとう」だけいわせるつもりだったんですが、森さんが「ごめんね」を付け加えさせたんです。実際、そのおかげで深みが出て、あのラストはベネチアでも絶賛を浴びましたからね。絶賛されたといえば「HANA - BI」というタイトルをつけたのも、森さん。実際、たけしさんはインタビューで「いいタイトルですねえ」といわれると、複雑な顔で「おれがつけたんじゃない」と答えています(笑)」 

 たしかに、森は「オフィス北野」設立以来、たけしのすべての活動をプロデュースしてきた、たけしがもっとも信頼を寄せる人物である」(「噂の真相」1998年4月号) 

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 筆者はこの数年後、CSの北野映画特集にて森のインタビュー映像を見た。長髪の森は北野映画の海外進出について語っていたような記憶があるが、そのあたりを境に森の露出は控え目になる。同じ映画プロデューサーでもスタジオジブリ鈴木敏夫東宝川村元気が、閉口するほどインタビューや書籍を繰り出すのと比べると、この15〜16年の森は裏方にほぼ徹してきた。朝日と「噂の真相」をすべて鵜呑みにはできないけれども、森の影武者ぶりを見るにつけ、ある程度は真実なのではないかと思えてくる。

 北野が監督・主演してヒットした『座頭市』(2003)では、北野が事前に金髪にしてその印象を十全に浸透させてから、金髪の市を演じる映画の公開に至った。卓抜なメディア戦略には感嘆したが、思えば森のアイディアだったのかもしれない。 

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 森が仕切るようになる以前の監督デビュー作『その男、凶暴につき』(1989)をプロデュースしたのは、当時松竹にいた奥山和由だった。北野に惚れ込んだ奥山は、「久しぶりに主役をやって、ド派手な大アクションの大娯楽映画をやりたいなぁ」と持ちかけられ、アート性の強い『ソナチネ』(1993)に5億円を出資してしまう。出来上がった作品を見た奥山は、だまし討ちに驚きつつも「困ったことに私はこの映画が好きだった」ので宣伝に尽力する。しかし北野はプロモーションの参加を拒否し、バラエティ番組で虚言を吐いて奥山をねたにしたという。『ソナチネ』を最後に奥山は北野から離れた。

 

たけしは人を醒まそうとする。人は成功や幸福を求め、そのための不自由に耐え、常識と共同社会の不文律、そして人間関係の維持に縛られてゆくものだが、たけしは人間のウェットな関係を切り捨てようとする」(「文藝春秋」1993年9月号)

 

 奥山は手記で訣別を宣言しつつも「誰かが彼という才能にチャレンジしてほしいと心から思う」と北野映画への敬愛の念を隠さない。その奥山に代わるような形で、森が北野映画を全面的にプロデュースするようになった。北野が『HANA - BI』のヒットで脚光を浴びていた1998年、奥山は松竹を追放される。追い出されたのと北野とに直接の関係はないとは言え、『ソナチネ』の興行的大敗は奥山の社内での立場を当然苦しくしたであろう。その20年後、森が裏切り者呼ばわりされて北野に切られた。

 北野武は、自身を献身的に支えた辣腕プロデューサーに関してマスコミに虚言を吐き、容赦なく切り捨てる。森の受けた仕打ちは、かつての奥山の述懐をどことなく連想させた。冷徹というのともまた異なる北野の底知れない人間性。筆者には『ソナチネ』や『戦場のメリークリスマス』(1983)における北野の無気味な笑顔が、改めて思い出される。 

 

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