私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

対談 山田太一 × 宗雪雅幸 “日本人が失ってきたもの。これから培っていくべきもの”(1992)(3)

山田 まだインテリというのが選ばれた人で、薫りがあるんです。まいったと思いました。そういう味わいは、ドラマでは味わいがなくてとても出せませんでしたけれども、いいものだなと思いました。中村光夫さんの『戦争まで』という、第二次大戦が始まるまで、フランスへ留学なさっていた記録なんかにも、僕はそういう薫り、知的な節度のあるものを感じました。選ばれた人が留学して、向こうのご家庭の人たちと付き合う。何だかちょっと甘いような感じもある。きれいなお嬢さんがいたりして、別に恋愛というところまでいかないんですけれども、ちょっとした冗談が言えたりすると、非常にうれしかったり。それを書きとめておくというような薫りは、戦後どんどんなくなってしまったなと思いましたね。

 

宗雪 ドラマを拝見していて、改めて親子の関係というものを考えさせられましたけれども。

 

山田 あのお父様の子供に対する割とストレートな思いというか、ああいう深く悲しめるという感情が豊かだということは優れたことですね。

 

宗雪 お父様の話で思い出したのですが、先日、『企業家精神を持った人』というアメリカのミシガン大学の調査報告を目にする機会がありまして、それによりますと企業家精神を持った人は家庭環境がある種共通しているというんです。そのときに最も重要なのが父親の役割だとしている。つまり、その生い立ちから言えば、「威圧的でない父親に育てられている」「高い目標が与えられている」「目標達成の方法・手段は任せるという気風」「過保護にしないという気風」そして「暖かい雰囲気の中で育った人」が多いという調査結果が報告されているのですが、山田さんはどう思われますか。

 

山田 僕は余りそういうことは信用しないんです。人間というのはある状況に置かれたからといって、同じような反応をするとは限らない。ある種の父親がいたとする、母親でもいいですが、その子供が全部同じような反応をするかと言えば、全然違うわけです。ですから、そういうことが企業家を育てるには向いているとしても、その通りにいく人は少しだと思います。

 

宗雪 必ずしもそうなるとは限りませんね。

山田 結局、人間がどういうふうに成長していくかということは、人間がコントロールできることではない部分が、かなり大きいと思うんです。またその謙虚さを親が持っていなきゃいけないんじゃないか。方針を決めてこうする、テクニカルに温かかったり厳しかったりというのは、ちょっと傲慢なのではないか。むしろ飲んだくれで家に帰ってこない親で、それを見て立派な息子になるということも、あり得るわけですね。

 

宗雪 親父は全然だめだけど、できた息子というのはよくありますね(笑)。

 

山田 むしろ子供はほっとして安心して偉くなれる。もちろんその調査は正しいのでしょうが、そうじゃなかった例もいっぱいあると思います。こういうことはみんなプラスとマイナスが必ずあると思うんですね。ですから、親は余り子供について責任を負わない方がいいと思うんです。半分ぐらいは神かなんか分からないけど、超越者にゆだねて。あとは祈っているしかないんじゃないかと思うんです。

 

宗雪 その謙虚さは大事ですね。

 

山田 親もそうそう装えませんし、装えばまたその装いが影響を与えてしまいますし…。

 

宗雪 確かに子供にとって親の失敗、親の挫折というのは、非常にいいバネになる場合がありますね。

 

山田 親が成功ばかりしていたらたまらないですからね。親が期待を寄せすぎていると、それが非常な圧迫になりますし、かと言って期待しないでもいけないわけですから。「子供は親の背中を見て育つ」と言うけれども、必ずしも背中を見て育つかどうかは分からないわけです。背中ばかり向けていないで、時々は親は関心を持っていることを、意識的に口できちんと言うぐらいのことは必要ではないか。「おまえを本当に大切に思っている」ということを、そういう言葉ではちょっと照れくさくて言えませんが、ちょっとしたときに「え、おやじはこんなことまで知ってたのか」という程度でもいいと思うんです。誰かに関心を持たれているということは、余りマイナスではないんじゃないかと思うんです。過度に関心を持たれるのは困るけれども。

 

宗雪 山田さんの作品では、親子とか家族をテーマにされることが多いですよね。その中に『岸辺のアルバム』というすばらしい作品がありましたが、あのドラマは、ちょうど昭和四十年代の日本の高度成長の中で、猛烈に働くサラリーマンの家族に対しての、大きな問題提起だったような気がするのですが、一番描きたかったのはどういうことだったんでしょう。

 以上、「FGひろば」Vol.81より引用。(つづく