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飯島敏宏 × 白石雅彦 × 河崎実 トークショー “テレビドラマ50年を語る”レポート (3)

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ウルトラシリーズ (2)】

 飯島監督は、『ウルトラマン』(1966)でバルタン星人の登場する「侵略者を撃て」と「科特隊宇宙へ」の脚本・監督を担当。

 

河崎「「科特隊宇宙へ」で毛利博士が宇宙へ行って、岩本博士(平田昭彦)を出し抜く。ホシノくんが泣いてると、小林昭二さんが90パーセントまでできて宇宙へ行くのと、100パーセントつきつめて行くのとどっちが正しいかって言う。でも答えは言ってないですね。どっちがいいと思ってたんですか(一同笑)」

飯島「ぼくは文系で文学部的な解釈になる。学校の先生が子どもたちに「侵略者を撃て」を見せると、子どもたちがウルトラマンは最後にバルタン星人を虐殺したって言うと。ぼくは答えられない。あのときは、「科特隊宇宙へ」という後編をつくるというのはなかった。1回こっきりと思ってるから。あの映像処理はビキニ環礁と同じで、水平線の向こうが明るくなる。ウルトラマンは宇宙船を処理したというラスト。続編つくることになって慌てた。あれはシビアなラストですね。

 100パーセントがいいかは、難しい問題ですね。100パーセントまで待ってできなかったらどうするか」

河崎「いまは毛利(毛利衛)さんとか、ウルトラマンにあこがれて宇宙に行ってる人もいる。どちらがいいか判らないですね」

飯島「100パーセントと信じないと行かれない。最後、岩本博士が救いに行くのは、100パーセントじゃなかったから。あのとき、救いに行くロケットの予算がなかった(笑)。あれどう見たって…」

河崎「ビートルに、監督曰くかみなりさまをつけて」

飯島「ロケットは数増やせばいいと(笑)。素晴らしかったね、成田(成田亨)さんのああいうセンス。何て言うのかな。やっぱり文系だね」

河崎「バルタンには与えるもの与えて帰ってもらおうとか、ああいうのいま見ても面白いですね」

飯島「話し合ってみたらどうですかっていう小林さんが言う」

河崎「話し合ったら、バルタンは20億3000万人ですと」

飯島「うそのさんぱちって言って嘘つくと必ず3と8が入る」

白石河崎「(笑)」

飯島「真面目な話、「科特隊宇宙へ」では100パーセントの答えは出してないですね」  

侵略者を撃て

侵略者を撃て

 

 その後、円谷プロ創立10周年記念映画『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス』(1973)を脚本・監督している。

 

飯島「『ダイゴロウ対ゴリアス』は円谷プロ10周年映画だけど、東宝映画で東宝マーク」

河崎「一(円谷一)さんがお金持ってきたんですよね。一さんがもし生きていらしたら飯島監督の運命も変わってたと、実相寺(実相寺昭雄)監督がおっしゃってましたけど」

飯島「もし生きてたら、ぼくの仕事場はこんなにあちこちにならなかったでしょう」

白石「きっと飯島さんにもっと発注が来てたでしょう」 

 やはりウルトラシリーズの伝説的監督である実相寺昭雄は、飯島を先輩として慕っていた。

 

飯島「実相寺もいなくなって10年経つけど、いまだったら人事異動ですよ。あのころのテレビ局は懐があった。理解する先輩もいて。

 実相寺がラッキーだったのは(TBSを辞めた後で)フィルムのコマーシャルが出たから。TBSが円谷英二さんから肩代わりしたオプチカルプリンターも、『ウルトラQ』や『ウルトラマン』よりもコマーシャルに使われたんです」

ウルトラマン誕生 (ちくま文庫)

ウルトラマン誕生 (ちくま文庫)

 

【木下プロ以後 (1)】

 1970年、映画監督・木下惠介木下プロダクションに出向。

 

河崎「木下さんに何と呼ばれてたんですか」

飯島「普通に飯島さん。最初は木下さんが社長で、ぼくは専務。専務と言ったって、ぼくはTBSでプロデューサーとディレクターしかやってないと最初に言ったんですがTBSの社長がそれは向こうに行ってきみが木下さんと決めればいいと。全部任せるから、会社をつくればおしまいで、向こうで監督やろうがプロデューサーやろうが関係ない。なんだっていいんだよと」

河崎「木下さんは、飯島監督のウルトラマンは見てたんですか」

白石「見てないでしょ(笑)」

河崎「ぼくは、『金妻』に怪獣が出てくると思って見てた(笑)」

飯島「木下プロをつくるってことで、木下邸を初めて訪ねていったら、奥に木下惠介アワーのプロデューサーや代理店の人がいて。木下監督はエレベーターとかでは愛想いいんですよ。当然知ってると。でも訪ねたらドア開けて、“ほら、やっぱりぼく知らないよ。この人”(一同笑)。営業の人が、挨拶に行くときは(お土産に)サントリーはダメ、ニッカをと。入ったら酒盛りが始まってて、高いウィスキーのショットグラスを出されて、こちらはニッカを(笑)。そしたら“飯島さん、早く出しなさい”と言われて、ニッカを出したら木下さんは“ぼく、これ大好き”って(笑)。すごい人だと思いましたね。後で聞いたら、コマーシャルを手がけられたときにサントリーの担当がうるさかったらしい。

 木下さんのところに行ったとき、全く違うと思ったけど、作品を見てつき合ってみると、大向こうを気にするところは同じ。テレビってマスを相手にする。マスに通じるものをつくるのがポイントだと思う」

白石「木下さんもヒット作品をつくった後でハードなものを」

飯島「当時の映画監督は、当てれば撮影所の給料袋が。会社が儲けたから、今度はやりたいものができる。でも昭和46年以後の監督に金持ちはいない。木下、黒澤明円谷英二の代でおしまいですね。

 木下さんは、本質は男性的でした。さっぱりしてる。“人間の歌シリーズ”の旗揚げのときにね、ほんとは『城下の人』(中公文庫)という北九州のスパイの話を木下さんが持ってきて、TBSは1作目から成功させたいのでその企画はつぶしてくれと。本人は察すると、ぶちぶち言わない。すぱっと“よそう”って。金曜の夜10時に番組をつくる。スポンサー決めるのが大変で、日産は既に木下惠介アワーについてました。TBSと電通がスポンサー連れてきたけど、木下さんは“××は二流です!” (一同笑)。東洋工業は重役が木下さんのファンだということで、そこに」(つづく