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常盤貴子 × 大林宣彦 トークショー レポート・『野のなななのか』『花筐』(1)

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 9月に池袋にて特集上映“大林宣彦映画祭”が開催され、出演者のトークショーが幾度も行われた。筆者はなかなか予定が合わず、最終日にようやく滑り込むことができた。

 この日は映画『野のなななのか』(2014)の上映と常盤貴子氏のトークがあり、客席の大林宣彦監督も発言した。大林監督は昨年夏に余命半年を宣告されたが、映画『花筐』(2017)を完成させ、12月に公開予定。筆者は今年1月に大林監督のトークを観覧したのだが、あれから8か月を経てまた体調が悪化してしまったらしい。聞き手は批評家の樋口尚文氏が務める(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 

常盤「マイクが四角。面白いですね。昔のガイコツマイクみたい」

 

 『野のなななのか』では常盤氏は女子高生時代のシーンもある。旦那さんの長塚圭史氏も新作『花筐』では16歳の役を演じる。

 

常盤「監督は、16歳だった記憶がある人は16歳ができるでしょっておっしゃって。監督を信じて、監督は撮ってくださると。それから怖いものなくなって、幅が広がりましたね。私、『やすらぎの郷』(2017)という作品をやらせていただいてるんですが、ミッキー・カーチスさんと年の差カップル。でもこちらでもやってるんだって、品川徹さんと。もうやってたんだ。(脚本の)倉本聰さんが、常盤さんは35歳の役って言われて。35歳って10年前で、無理ですよって言ったら、倉本さんは自分から見れば35も45も同じですよっておっしゃって。大林さんもそうなのかな。

 私は石田ひかりちゃんと同じ歳で、世代的にずっと監督がメジャー映画をやっていらっしゃるのを見て、『ねらわれた学園』(1981)くらいから記憶があります。自分の青春の1ページに大林監督の作品が入っていて。この世界で仕事ができるようになって、「キネマ旬報」の取材で、やってみたい人は?って言われて黒澤(黒澤明)監督と大林監督って答えて。その記事を監督が見てくださって、20年くらい経ってずっとお会いする機会もなく。そしたら長岡の花火大会で初めてお会いして。その前年に『天地人』(2009)でお船の方という長岡出身の役で、そのご縁で花火大会に呼んでいただいて。感動しちゃって。何十年夢見ていた監督に、とにかく私がファンだと伝えたいと。ファンでしたって言ったら、記事を覚えていてくださって、いつか仕事しようねって。それで次の仕事に呼んでくださって、感動的でしたね」

 

 当時、大林監督は『この空の花 長岡花火物語』(2012)を撮っていた。

常盤「(『天地人』の)そのときの(長岡)市長さんが私を気に入ってくださって。私がプライベートで長岡をリサーチに行ったんですが、観光を兼ねて。勉強の一環でマネージャーと来る人はいるけど、遊びを兼ねて来た人は初めてですって」

 

 大林監督は、自作にはひとりで現場に来る役者に出てほしいと言う。

 

常盤「ずっと訓練して、仕事がちゃんとできるように、何度も自分ひとりで行きました。でも連続ドラマをやっていて、膝に台本のせて運転して、事故りまして。あまり言えないんですが。またマネージャーさんとの生活に戻って。

 30歳になって仕事変えようって思って、舞台やスペシャルドラマにシフトしました。着々と大林組に近づく(笑)。でも声がかからない。

 思いもよらないカットがきょうの(『野のなななのか』の)最初にもあって、寺島咲ちゃんが足でパンパンって。あれも意味がないと言えばないけど、きゅんとくる。リズムもついて、意味がないことが何て重要なんだろう。意味があることってそんなに重要なのかなって、大林ワールドにはまっていく。ここに来てくださってる方は、そもそもこのワールドが好きな方ですよね。その方々といっしょに見られる。みんなが前のめりに見ている感じがしますね」

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 常盤氏は『花筐』にも連投して出演。

 

常盤「『花筐』では、純文学というは行間にこれだけの意味が込められている、その自由さを実感して。大林監督の脳内を通ると、こんなに足される。また改めて原作を読むと、面白さが出てくる。どんなに違うかって。

 あしたからクランク・インってときに唐津に入ってたんですけど、ホテルに着いたら早々に、監督から余命半年の宣告があったと話があって、みんな頭真っ白。そこから怒濤、激動の撮影でした。生と死が身近にあって、健康であると感じないけど、監督が身をもってディレクションしてくれて、否が応にも感じました。私たちが普通に出すことのできないエネルギーがスクリーンにあると思います」

 

 大林作品にはジャーナリスティックな側面もあり、『北京的西瓜』(1989)では空白のシーンを挿入することで天安門事件を表現した。

 

常盤「大林監督の映画には、そのときだけの少女性があって。この人のこの瞬間はいまだけって感じました。

 『北京的西瓜』でも、監督がよくおっしゃる、映画は記憶装置だって感じました。時間が経つと風化して、つらいことは忘れようとする。だから記憶装置に記録することで、取り出すことができるのなか。また泣いてしまって、泣く映画でもないのに。ティッシュはいらないって裏で言ってたのに、1枚持って行けばよかったな。『北京的西瓜』のラストも忘れたい記憶でしょうけど、あそこに空白があって、時が経てば経つほど心で考えることができる」(つづく

 

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