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寺田農 トークショー(実相寺昭雄の光と闇)レポート・『おかあさん』(2)

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寺田「『でっかく生きろ』(1964)の後、360日会ってるくらい。実相寺はひとりっ子で、ぼくは姉と妹がいたけど男ひとり。ひとりっ子同士みたいで、合いましたね。お前らモーホーだとか言われて、それくらい仲が良かったね」

 

 実相寺作品の常連では、他に故・岸田森もいる。テレビ『怪奇大作戦』(1968)、映画『曼荼羅』(1971)、『哥』(1972)、『歌麿 夢と知りせば』(1977)などに出演。

 

寺田岸田森ちゃんは文学座の同級生で、年は3つくらい上だけど。芸術祭のドラマに出て、大山勝美さんの演出で、演出助手が実相寺高橋一郎さん。そこからジッソーとつながった。早くに亡くなったから、音楽関係は全然やってない。実相寺が音楽をやり始めたのは後半だから。森ちゃんのころは映像の仕事が忙しくて、音楽はやってなかったのかしら。

 ほんとにひどい人で、誰のために作品をつくるかというと、すべて自分のため。観客も出演者も関係ない。おかげで周囲の人は迷惑をかけられる。役者仲間では嫌いな人もいっぱいいて、あの人の作品に出ても小道具扱いだと。jも役者に期待してなかったよね」

 

 寺田氏について実相寺は、共同作業をするスタッフと形容しており(『実相寺昭雄のナメてかかれ』〈風塵社〉)、映像での主役級の仕事はない。一方、コンサート演出の際に朗読を頼まれることが多かったという。

 

寺田「『青い沼の女』(1986)は雨合羽を着て、目だけとか。でも何をどうやろうといいんだと。

 映像より音楽のほうの仕事を多くやりました。最初は『兵士の物語』(1990)。このそばのオーチャードホールでやったんですね。秋山(秋山和慶)さんかな」

油谷中山仁さんにお願いしてたんだけど、オーケストラをバックに語りをやるのはできないと。監督は寺田さんに“きみ(中山さんの)親戚でしょ。責任とってやってよ”と」

寺田「それから『兵士の物語』は何回も、いろんなバージョンをやってたね。『ダヴィデ王』とかね。山田(山田一雄)先生の最後のほうになるけど。朝比奈(朝比奈隆)先生との『フィデリオ』は、東京でやってから阪神・淡路大震災を挟んで大阪でもやりました。朝比奈先生のブラームスはあなた(油谷氏)もやって、映像も残ってるね」

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 1998年以降、実相寺は『魔笛』を何度か演出していた。

 

寺田二期会の『魔笛』では魔木って木が出てきて、主人公に首吊りのロープを渡す。最初に演出をやったときに招待されて見に行ったら、いつかあなた木をやってよと。ああいいよって、こっちもいい加減ですから(笑)。亡くなった後で、二期会から実相寺バージョンをやるのは今回で最後なので(2010年)、監督が是非木をと言ってたのでと。木をやりまして、大変でしたね」

油谷「監督と寺田さんがお酒飲みながら木をやると約束する映像が残ってまして、しつこく依頼して(笑)」

寺田「木がね、でかいんですよ。7メートルくらいあって、顔だけ抜いてあって、その部分から顔出す。動くのも大変で、1回倒れたらひとりでは起き上がれない。着るのも4人がかり。(出番は)3分くらいだけだけど、何回稽古に行ったかな。

 オペラは台本もなくて、スコアだけ。読めないので苦労しましたけど。実相寺はオペラの演出をやって、全部見ましたけど愉しかったね。二期会は『魔笛』を(撮影して)参考テープにしてましたけど、見ないでいい(笑)。

 実相寺は、映像は自分のもので無観客映画、誰にも見せない映画を撮るのが夢だと。でも音楽となると、しもべのようになる。映像だと1時間くらい遅刻して、スタッフみんなが準備して監督は遅刻してそのまま撮るみたいに横着だったけど。音楽については1時間2時間くらい前から来て準備する。畏敬の念がありましたね」

油谷「そういう変わり身の早さも…(一同笑)。不思議な人でした」

 

 寺田氏のトークを聴くのは4回目で、変わらずお元気そうだった。原知佐子氏も来られていて、寺田氏と談笑していた。

 

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