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私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

水野英子 トークショー “トキワ荘の思い出…U・MIAのこと” レポート(2)

【U・マイアの想い出 (2)】

水野「最初の「赤い火と黒かみ」は私が下関なので、東京と山口とに離れて描きました。個人の家には電話もなくて、電報と速達でやりとり。締め切りもあるのにそういう形でやって、大変でした。秋にスタートして、向かいの商店に電話の取り次ぎをお願いして、○日の△時に電話するという電報が来て(その時刻に)待機してると、向かいのおじさんが「電報だよー」って(間の)国道は距離があるんですが走ってきてくれて。

 テーマはオペラや映画になった『サムソンとデリラ』(1949)。私が主人公の男女を描いて、石森(石ノ森章太郎)さんが全体の構成。赤塚(赤塚不二夫)さんはバックとか総締め。

 石森さんの表現の方法で(特定のコマだけを1ページ使って)横に描く。(女性がライオンに襲われる絵を指して)主人公の女性が私で、ライオンが石森さん、花が赤塚さんです。きっちり1枚の絵になってるでしょ。下関と東京とに分かれて描きました。人物のところはてるてる坊主になってて「きゃあ」っていう台詞から推し量って絵を描く。

 細かい斜線の部分は赤塚さん。リアルな絵を描くのがお上手だったんです。

 石森さんはスペクタクルな場面が好きで、この石像も迫力のある絵です。私はまぼろしを見ていて、石森さんが描いてるのを横で見て「すごいね」って言ってたと思ってたんですが、丸山さんとの対談のときにはっと気づいて、私まだ上京してなかったのに、何で見てたんだろうと。何十年も(横で)見てたと思ってて、丸山さんは幽体離脱だと(一同笑)。それくらい印象の強い絵だったんですね。

 人気があったようで第2作をやろうということになったんですが、やりとりが大変だったので、東京へ出てこいと。上京が1958年3月で、トキワ荘に入りました」

赤い火と黒かみ (石ノ森章太郎デジタル大全)

赤い火と黒かみ (石ノ森章太郎デジタル大全)

 

 トキワ荘で取り組んだのが、第2作「星はかなしく」。

 

水野「(上京直後の)4月に石森さんのお姉さんが亡くなられて。私が3月に入居して、亡くなられたのが4月。大騒ぎになりまして、仕事に取りかかってたんですが、遅れました。石森さんが偉いなと思ったのは、取りかかったら全く態度に出さない。大変なことだと思いました」

ヤマダ「石森さんはUマイア以外にも連載のお仕事をされてて、「少女クラブ」「なかよし」の連載に短篇も描かれて」

水野「あの人のパワーはすごかったですね。仕事が速い」

 

 「星はかなしく」はトキワ荘での共同作業となった。

 

水野「3人でいっしょの部屋でテーブルを並べたので、密度の高い絵を描くことができました」

ヤマダ「それまでは電報や電話だったのが、直接ですね」

水野「石森さんが窓辺に机を置いて、これは誰が描くって指示してこっちに回ってくる。

 開戦したときの、人がたくさん出るお祝いの絵。兵隊は赤塚さんが、群衆は3人で描きました。なかなか埋まらないんですよ、画面が。3人で3日かかりました。几帳面に描いてて。手塚先生の影響で、『メトロポリス』は群衆をごまかさずに描いてて、それを私たちも踏襲しました。(群衆のひとりひとりを指して)これは私です。これは丸山さん、赤塚さん。これは石森さん。あちこちにいろんな人が出てきます。締め切りに遅れてたんですよ。だからヒステリー状態になって、こんな遊びやってけらけら笑って(笑)。

 「星はかなしく」は集中してやった気がしますね。みんな自分の仕事は先に上げて、やったんだったかな。

 兵隊がずらって並んでいるのはだいたい赤塚さんです。(主人公の)ラダメスは石森さんが描きたかったみたいですね。描きたいときは黙って描いちゃう。(主人公の男女の場面は)背景は全部赤塚さんですね。リアルです。椰子の木の葉っぱや鳥が飛んでるところ、本当に上手なんですよ。すごくいい表現してるでしょ」

ヤマダ田中圭一さんは、赤塚さんの絵は模写がしにくいと。均質な線でスーッとパソコンのグラフィックで描いたような。強弱があると模写はしやすいけど。赤塚さんは、石森さんのスペクタクルを生かして、美しいバックを描かれてますね」

水野「(主人公のふたりは)禁断の恋をしたので、ラストで処刑されるわけです。オペラでは閉じ込められるけど、石森さんが砂漠に追放されることにして、砂漠を歩くふたりの上をハゲタカが飛んでる。ふたりの影がその運命を暗示してますね。こういう暗示は(漫画史で)石森さんが初めてやったことかもしれませんね。この影がスクリーントーンです」

ヤマダ「綺麗な絵で、意味性もありますね」

水野「最後にふたりの足あとがつづいていて、ハゲタカの群れがそれについていってる。やはりふたりの運命を暗示しています。まだ歩いてるのか死んでいるか判らないけど、ふたりは死ぬだろうと。やりがいのある仕事でした」 

 第3作「くらやみ天使」は、海外の作品を翻案した前2作とは異なり、舞台が日本。水野先生は前2作ほどタッチしていないという。

 

ヤマダ「3作目は「くらやみ天使」という連載作品です」

水野「合作やると3人で愉しくて、つい遅れる。石森さんは少年誌で忙しいから、おれもうひとりで描くよって。結局私が外れて、まあいいや、しょうがないと。私は国から手紙も来たことだし。ですから「くらやみ天使」の後半はもう抜けております。バックは全部赤塚さんです」

ヤマダ「日本が舞台だと見せ場がつくりにくいのですが、風景を丁寧に描いてすごく奥行きがある画面になっていますね」

水野「赤塚(赤塚不二夫)さんは、バックの処理でドラマチックに見せるという、そういう実力を持った方でした」(つづく)