私の中の見えない炎

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足立正生 × 平井有太 トークショー レポート・『ビオクラシー 福島に、すでにある』(1)

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 2011年3月11日の東日本大震災以来、「人心を文章で残す」という「ソーシャルスケープ」を実践する平井有太氏。福島県の内外から世界の有名人までユニークな人選の『ビオクラシー 福島に、すでにある』(サンクチュアリ出版)は、平井氏の活動の結晶である。

 7月に都内の書店にて、平井氏と足立正生監督のトークショーが行われた。

 足立氏は、『略称・連続射殺魔』(1969)の監督や『新宿泥棒日記』(1969)の脚本などを手がけ、1971年にパレスチナに渡り、禁固刑も経験した。2007年に『幽閉者 テロリスト』を撮り、今年は新作『断食芸人』(2016)が公開された(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 平井氏が足立監督に初めて会ったのは、10年くらい前だという。

足立「(『幽閉者』には)ARATA(現:井浦新)くんに出てもらって。アントニオ・ネグリのところへ行ったのはそのころ?」

平井「それはもう少し後です。ベネチアにお邪魔して。来日するって話があったのに、亡くなった鳩山(鳩山邦夫)さんのせいか入国拒否に。東大や京大で話す予定がダメになって、それで会いに行って。

 震災当時は車の免許もなかったんですが、自分にできることは何だろう、こんなに無力なのかと。放射能のことを勉強したり。それで初めに伺うのは足立監督かなと。掲載する媒体も決まってないのに、お電話して。国内外のいろんな問題を伺いたいと思ってたんですけど、そのとき伺った“寛容”という言葉に指針がある気がして」

足立「ありがたい話だね。いまも過激派、テロリスト扱いなのに(笑)。最初に会ったとき、変なテレパシーがあって。彼は思想の旅人っていうか。思想は人の生きざまから生まれたもので、思想に会うことは人に出会うこと。うらやましい生き方をしてるなと。こういう人が世界を全部見て回れば感動の源にしていくだろうなと」

 

イスラムと“寛容” 】

 『ビオクラシー』の足立監督インタビューは、大震災の直後に行われた。イスラムの“寛容”の精神について語られている。

 

足立「日本では福島がありますけど、その当時アラブで民衆が蜂起して、この屈辱や抑圧の中では生きていけないと立ち上がった。右も左も関係ない。21世紀に入る前から独裁や抑圧があって。イスラエルの抑圧を受けるパレスチナがヒップホップを歌いつづけて、それがアラブにも広がって、ヨーロッパやアメリカにも移民がいるからその人たちの間でブレイク。そういう文化的な土壌があったんですね。ヒップホップは独裁反対という切実な歌。ところが実際には、インターネットカフェに聴きに行って、フェイスブックで知らせ合って、それが弾圧を受ける。民衆蜂起が行動としてスタートしたのは、エジプトです。サッカーチームの応援団があって熱心で、勝っても負けても、競技場でデモをする。保安警察との攻防があって。試合中に“パレスチナ独立”とか言っちゃうから、サッカーが治安に影響を与えるのを恐れて、警察はめちゃくちゃに弾圧して、虐殺したり。サッカー応援団を守るための防衛隊もつくられて。青年たちがサッカー応援団を中心として、中央に押し寄せた。これがアラブの「春」、春はカッコつきだけど。これ以上は貧困も抑圧もごめんだというのが底流にあって、若者は強い。そんなときに3.11。(アラブで)焼き討ちをするのを見ていて、フクシマって何だろうと。そこでぼくも問題を立て直そうと。

 “寛容”っていうのは、私自身の言葉ではないわけですね。ぼくの知識は付け焼き刃だけど。イスラムの教えの中心は仏教に似ている。お互いの違いを認め合うという。違うということは恐怖や敵愾心を…。それを認めるのは難しい。それぞれが違うからこそ、社会をつくる。その寛容な精神が大事だと。私は寛容な精神が大事だと思うようになっていて。

 やっぱり(取材で)原発回りをしてると、怒りと打ちひしがれるものがあって、それをどう乗り越えるか。同じところへ帰ってくると思ったの。なまなかなものじゃなくて。大震災の被災者たちが日本を変える最前線じゃないかと。武器になるのが“寛容”で、それがあなたを惑わした(笑)」

平井「日本で民主主義は、はなからダメなんじゃないかな」

足立「民主主義は、イスラム法学者が50年かけて勉強した神髄がある。ルソー(の人権宣言)とかは、そこからやってきてる。イスラムの民主主義は、ヨーロッパに使われて歪んでいった。

 近代主義イスラムのトピックをもとにつくっていったと思う。(今後は)原始共産主義に帰ったほうがいいのか。平井有太が思想の旅に出て、見て回ればいい」(つづく