私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

是枝裕和 トークショー“表現の自由が危ない!”レポート(3)

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【若き日の想い出 (2)】

是枝「奥さんは“自分にとって夫の死はパーソナルなことだけど、夫が取り組んでいた福祉には公共的な側面がある。だから私が語るほうが夫も喜ぶだろう”と。ひとりの人間の中にパーソナルな部分とパブリックな部分がある。それを認識すると、知る権利と関係なく豊かなパブリックを形成する放送というのが少し見えた。

 知る権利でなくパブリック、多様性に価値観を置いて、公共性、民主主義をどう豊かにしていくか。当時は判らなかったけど、村木が言ってたのはそういうこと。“私”を排除するのではなく多様な“私”が理解されるべき、そこに向かっていくのがパブリックだと。

 民放にも公共性がある。みんながそれを考えるのを止めてしまっていて、何も寄って立つものがなくて、そこは考えた。報道局で取材に行ってたら違ったと思うけど。

 この国はレベルの低い人が政権を担ってるということも大事だけど、公共、パブリックという価値観が痩せてきている。ナショナリズムに回収されていて、むしろ一般の人はそのことに安心してる。国家と国民が同心円状に重なっていくことの安心感。でもパブリックはみんな違ってみんないいということに重きを置くべき。同心円をどう引きはがすか。中立に分かれていたほうがいい。

 生活保護を打ち切られて自殺したホステスさんがいて、亡くなる前に申請したら“あんた綺麗だから仕事あるだろ”と。そのテープがあって、却下した人を呼ぼうと。最初は判りやすい図式だったけど、山内さんは生活保護に関わってる。上級公務員試験2位なのに厚生省(当時)に入って、日のあたらないところへ行く。生活保護行政、同和問題とか。これが興味深くて。それで優秀だからポストが上がっていって、板ばさみになる。和解は受け入れられないと、患者の前で説明しなきゃならない。いかに自分が簡単な構図にいたか、対立構図をつくって現実をはめ込もうとしていたか。それを山内さんに教えてもらった。少しずついろんなものを見る眼が多少なりとも成熟していて、そこにもともとのあまのじゃくな(笑)…」

 『もう一つの教育~伊那小学校春組の記録~』(1991)がわずかに上映された。坂元プロデューサーによると、是枝氏は「個性豊かな青年で、管理が上手なプロデューサーと対立」したのだという。

 

是枝「(『もう一つの教育』は)3年くらい通って撮ったの。大きいカメラ担いで。

 (テレビマンユニオンは)自主独立を重んじる姿勢で、1年目は社員で、1年でメンバーに昇格。メンバーは投票で選ばれる。そこから自主自立、ギャラ交渉も誰と組むのかも自分で決めるし。でも2年目に“ここに配属”って言われて、いや聞いてない。何故それが厭かって延々喋って、かわいげのない(笑)。1年お前を食べさせてやったと言われて、あなたに食べさせてもらってない。それで3か月休ませてもらって、休んでる間に(村に)通って、通うお金がほしくて(会社に)戻った。問題児で、坂本さんに助けられました。

 生活保護の番組をつくったときに週刊誌を調べて、大宅文庫生活保護の記事を出す。すると、生活保護を不正受給する人がいると「○○」でスクープが出て、その後に法律が変更される。ああ、こことここがグルなんだと判りますけど。不偏不党と言いながら、どこが政権寄りでどこが距離を取っているかが見えちゃう。でもすべてが陰謀のようにとられていくのも…」 

 

【その他の発言】

是枝「ぼくの映画の家族像はなるべく多様な家族にしようと思っていて、今回の映画の希林(樹木希林)さんの母親も保守的で、ぼくの母もそうで。リベラルな人間ばかり登場するのではなく。(劇中の母親の発言は)ぼくがそう考えているわけではないけど、多分ああだろうと。厭なほうがリアルで、この先は血縁のない共同体に自分の興味が移っていくかな」

 

是枝「(構想中で興味があるのは)ブラジルの日系移民は棄民政策で、彼らは日本が敗戦したことを知らなかった。神の国だから負けないと信じた人たち。他に満州の“満映”、映画をつくった日本人、韓国人の話をやりたいと思ってます」

 

是枝「ぼくが見てきたホームドラマ山田太一とか向田邦子とか。ぼくのDNAにはホームドラマの遺伝子があって。向田邦子はほとんど不倫ドラマ。男の安息の場は外にあると。山田太一だって、『岸辺のアルバム』(1977)なんてねえ…。それも人間でしょって思う。そういうのも含めて人間を描いていることの豊かさ。いまは品行方正じゃないものを排除してるけど、テレビってもっと猥雑なもので」

 

是枝「テレビはパブリックという意識に立って、8割の人でなく2割の側に立つ。そういう意識になっちゃう。村木ほどぼくはとんがってないけど。映画は監督個人の作品で、個人のエネルギーの強度でつくる。現場の演出は同じだけど、目指すものは違う。

 『開拓者たち』(2012)は友だちのつくった番組だけど、開拓される側から見れば略奪。アメリカ発見もそうで、何が開拓されたのか」

 

 是枝氏は、この翌日に福岡のRKBに呼ばれて、勉強会に出席するのだという。

映画を撮りながら考えたこと

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