私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

倉本聰 インタビュー “無念。”(2002)・『北の国から』(2)

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――それを伺うと、純や五郎の独特の口調がより際立ってきます。

 

倉本 もし、あの丁寧語の部分を邦さん(田中邦衛)がいい加減にやっていたら、あの親子関係は生まれてこない。息子に対して感じている距離があの丁寧語となって表れているんです(「以前、雑誌である政治家の娘さんが「父がいつまでたっても自分に丁寧語で喋る」と言ってるのを読んでヒントに。こうした言葉の変化は、親から子への権威譲渡も表している」)。純も蛍も忠実に再現してくれましたし。また、純はナレーションの中で「○○○なので」という変な言葉の止め方をしてますが、やはりナレーションというものは、いろいろ微妙な感情をデリケートに出さないといけない。ですから、「なのです」でも「なので、○○です」でもない。純の場合は言い切れない自信のなさ、それを出したかった。

 

――北海道を拠点とすることで、作品作りにおいて何かビハインドは?

 

倉本 仕事で不都合を感じたことは一度もなかったですね。打ち合わせにしても核心に触れる話って5分くらいじゃないですか。あとはお茶飲んで、雑談ですよ。それに、こっちに来て最初の2、3年、利害関係のない人たちと知り合っていくのがとても新鮮でしたね。結局、今思うのは、モノを書くというのは70%“受信”。それで自分が濡れて、いっぱい水分ができて、そこで初めて搾って“発信”するんだと。

 

――つまり、受信=経験があってこその発信=ドラマであると。

 

倉本 シナリオ学校で教えることは“発信する技術”だけですよ。演技にしても“演技の仕方”ばかり。マンウォッチングや、自然に触れたりする“受信”の方法を全然教えていない、そこが問題だと思いますね。現実が強いんですよ、一番。例えば、ラーメン屋で五郎が突然怒鳴りますよね。どんぶりまで倒して。一見その行動は理解できないかもしれないけど、実はそれが子供たちへの愛情を引き出している。その感覚はもう、体験するしかない。本はやっぱり頭で書いてはいけないと思うんですよ。

 

――では、最近のドラマについて何か感じることはありますか?

 

倉本 セリフの意味というものを、あまり考えていないと思いますね。「愛してます」なんて、めったに言わないわけですよ。間接的な表現の中で「愛している」ことをどう感じさせるか、そこにシナリオの真髄がある。その機微がないと単なるリポートになってしまう。…なんだかライター講座みたいだな(笑)。

 

――あの、登場人物の詳細なプロフィールというのは?

 

倉本 あれは全部先付けです。住んでた家の間取りや周辺の地図も絵に描きますし、登場人物の年表も書く。これはもう必須です。ドラマは氷山と同じで、7分の1だけが表面に出ていて、後の7分の6は下にないといけない。僕が最近のドラマを観てつまらなく思うのは、その7分の6を全然作ってないんじゃないかという気がするからなんです。

 

――確かにそこまで作り込んでいる作品が少ない気がします。

 

倉本 でも、僕もたまに忘れちゃうこともあるんですけど(笑)。草太岩城滉一の葬式のシーンを書いていて「あ、そういえば兄弟がたくさんいたな」って気づいて愕然としたり(笑)。

 

――よくよく見ると、黒板五郎も実はそんなにいい人ではないですよね。

 

倉本 僕はいい人を書く気はまったくなかったですね。いくら長所を書いても、人物は全然光らないんですよ。だから、五郎が「いい人」と呼ばれるのは邦さんの功罪でもあります「“一番情けない奴”ということで邦さんになったが、もっと情けない奴でもよかった」。それは自分の役をいい人にしようとする俳優の本能だと思うけど、もうちょっと小ズルくてもよかった。

 

――彼らも人間である以上、ズルかったりイヤな部分は当然ある。

 

倉本 「五郎=いい人」というのはみなさんの誤解です。それに純はタマコを妊娠させてしまうし、蛍は不倫するし、令子も雪子もそう。他の登場人物もけっこうめちゃくちゃ、やってるんですよね(笑)。『北の国から』が“いい人たちのドラマ”だとは、僕は決して思っていません。たぶん、自然の中では悪い人もいい人に見えるんじゃないですか(笑)。 

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 “種”は蒔いた。あとは芽を待つ。

――改めて、倉本さんにとって『北の国から』というドラマは、いったい何だったのでしょうか。

 

倉本 21年ということは人生の3分の1、社会に出てから半分の時間書いているってことですよね。ただ、この作品の場合、商売というよりも自分の生活と密着していましたから。丸太小屋にしても、石の家にしても、全部自分で造ってみて、実験してから本の中に書き入れたわけですよ。まさに生活そのもの、という仕事だったから普通の仕事とはちょっと違う感覚です。

 

――だからこそ、まだ書き続けたかったという面も?

 

倉本 一度バラバラになった黒板家だけど、蛍が結婚して、純も結婚することになって、やっと富良野に戻ってさぁこれから、という段階でストップがかかった。これから一つの家族がまたできて、今度は五郎の老人問題が起こって…というところなのに残念ですよね。ただ、今までのものを繰り返し観ることができるということでは、ビデオやDVDは非常にありがたい。個人的ではありながらも、後で「あれ観た?」「よかったね」という“感動の共有”はできる。…そういう意味で、DVDは書物に似ているかもしれない。

 

――正直、どうにも納得がいかないファンも多いのでは?

 

倉本 こればかりは僕に言われてもしょうがない。僕も納得いってないんだから(笑)。予定も何もない。それこそ僕も定年の年ですから。ラジオドラマで続けてもいいかもしれないけど、今は塾生と芝居を作っていくのが一番楽しいし、面白いですね。

 

――でも『北の国から』の精神は、着実に次の世代へと受け継がれていると思います。

 

倉本 そうですか。では『北の国から』がいろいろな形での“種”は蒔いたんでしょう。あとはその“種”がどこかで芽を生じてくれれば。今、僕は演劇の世界に戻ってきているけど、やはり“感動の共有”が人間にとって本当に重大なことだと、今更ながら強く感じるんですよ。

(「週刊SPA!」2002年4月2日号) 

「北の国から」異聞 黒板五郎 独占インタビュー!

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