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中島丈博 トークショー レポート・『祭りの準備』(1)

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 高知に住むシナリオライター志望の青年・楯男(江藤潤)。性と創作に悩む彼の周囲には、三角関係や四角関係が乱立し、愛憎が渦巻いていた。

 巨匠脚本家・中島丈博が自らの青年時代を素材にした映画『祭りの準備』(1975)。中島はこの作品に愛着が深いようで自薦3本に本作を挙げていたが、それはあくまでシナリオに関してのようで、完成した映画については「イメージと違った」と回想する。

 3月に横浜にて『祭りの準備』のリバイバル上映と、中島丈博先生のトークショーが行われた(『日本名作シナリオ選』〈日本シナリオ作家協会〉に収録された作品の特集上映である)。テレビ『幸せな市民』(1989)、『真夏の薔薇』(1996)、『真珠夫人』(2002)、『牡丹と薔薇』(2004)などを見て中島ファンの筆者は、中島先生を目の前で見られて感激。先生は歯に衣着せぬ物言いで知られ、最新作『新・牡丹と薔薇』(2015)に関しても、出演者や演出家を非難していた(「ドラマ」2016年2月号)。

 聞き手は脚本家の黒沢良子氏が務める。黒沢氏は、『祭りの準備』のシナリオは出来あがった映画の300万倍おもしろいと太鼓判を押す(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

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【『祭りの準備』について (1)】

中島にっかつロマンポルノや『赤ちょうちん』(1974)を書いた後か前か、オリジナルを書きたいと思っていて。新藤(新藤兼人)さんの近代映画協会で、「シナリオ研究」っていうシナリオ集を出す。そこで書けと」

 

 新藤の言葉は劇中でも引用されている。

 

中島「当時、アメリカンニューシネマが大流行りで、ヒーローでない物語だってニューシネマならできると思って。くだらない人生を書いてもいいっていう開放感があった。

 タイトルは、ゴーギャンの絵の題に同じのがあって、タヒチ語でふわふわふわみたいな(一同笑)。それを訳したら“祭りの準備”だと。女たちがごちそうを準備してる。それがいいと思って、使わせてもらいました」

 

 中島先生は、完成版に相当不満があった。

 

中島「(最初に見終えたときは)複雑、微妙みたいな感じでしたね(笑)。

 ところどころ、赤い布切れが風に吹かれてる。ああいうのは、黒木さん(黒木和雄監督)にやっていいかと言われて、いいんじゃない?と。

 いちばん厭だったのは、バランスが崩れて狂っちゃってるということ。原田芳雄が出しゃばりすぎ(一同笑)。桂木梨江がたらいに入ってるシーンでも、原田が言うのを監督が止められない。原田がしたいようにさせて、放置してる」

 (楯男の)勃起が止まらないという件り、あれはこのシナリオの人間喜劇の肝だと思うんですけど(変えられた)」

 

 クライマックスで、竹下景子演じるヒロインの「セックスしてしもうたの」という台詞も「寝てしもうたの」に変更されたという。

 

中島竹下景子の台詞で、“私、共産党に入るから”っていうのがあって、あれが捨て難い。何でああいうのをカットするんだろう。あのころ、ちょっと生意気なやつで赤みがかった若いやつを丹頂鶴という。丹頂鶴は頭が赤いから。

 もとのシナリオは、あまり愛や恋がない。肉欲はあるけど。それを青春映画ふうのムードにしたかったのかな、監督は。イメージシーンは安っぽいですね」

 

 自伝的なストーリーでありつつ、フィクションもある。

 

中島「嘘だらけですね。10歳から21歳まで高知。実は(信用金庫でなく)銀行員。でもそのままじゃやだな。やっぱり信用金庫のほうが田舎っぽくていい。

 父は(劇中の設定と異なり)日本画家で、高知の県展審査員をやってて。サラリーマン家庭ではなく、どっかに勤めてるって感覚がなかった。母は文学少女上がりで、よく喋る。そっちの影響も大きかったかな。

 主役の江藤潤はよくやってくれてたと思いますよ。ぼくは現地へ遅れて行ったんだけど、現地の人が見てて“丈博ちゃんに似とる”って。どこかでぼくの雰囲気が伝わってたのかな。ただ、いかんせん原田に喰われて。彼はお人好しで、“おれが全部やるぜ”みたいなことを原田に言われて、“兄貴”と奉ってたらしいけど、自分の領分を侵食されてああなった。原田が跳梁跋扈しすぎて、でもいきいきしてて、キネマ旬報助演男優賞を取ったからね。黒木さんも、主役のバランスが悪くなるのはよくないぞって意識してくれたらよかったかな。青春の滑稽感、悲哀感、みじめさも彼(江藤)が体現してるはずなのに、ちょっと損なった。最後に汽車に乗るとき、ペニスを握りしめてって書いたけど、それもやってない。

 全体の脚本のトーンは滑稽譚、人間喜劇という観点で、青春ドラマというより滑稽さ、ちぐはぐさ。寓意性というと言い過ぎだけど、そういうものを込めた。奇妙キテレツなものが出ないかなと思って書いていたけど、そういうのは一切出なかった。のたのたしたり、映画館の前で怒鳴られたり、あれもやりすぎ。

 (楯男が)タマミ(桂木梨江)とできた後に盃を交わすシーンでも、原田が…。あれはほんとに厭だった。田舎の人間の感性で、ああいうのはない。親分と子分の関係が、厭らしく表出してしまった。

 黒木さんって人は不器用で、演出力がない。役者がやる通りに撮ってるだけで。ぼくは竹下景子にもところどころ不満。ぼくはそば(撮影現場)でわらわら言ってたけど、テストして、監督は“ほらできないでしょ。いくら言ったってできない”って。でも監督にイメージがないから伝わらないんであって、やらせれば役者はできる。大した監督じゃないんですよ。ハナ肇はよかった。親父はああいう人ではないけど」(つづく)

 

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