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私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山田太一 × 荒井晴彦 トークショー レポート・『無法松の一生』(2)

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【『無法松の一生』の作品論 (2)】

荒井「(『無法松の一生』〈1943〉の)ラストのモンタージュがあいまいになってる。白井(白井佳夫)さんは、切られたことで笑顔に純化されてるって書いています。検閲の功罪の功じゃないかって」

山田「そこまで深読み(笑)。でもあのころのハイクラスの監督・脚本だと思いますですね。官憲が力を持つと、教養がなくてもカットする。でも何も判ってなくても力のある人たちって常にいますからね」

荒井「『きけ、わだつみの声』の手記に、『無法松』を見て死んだ学徒がいたらしくて、中略になってる。その遺族のもとにノートがあって、中略の部分にはなぜカットされてるのかって書いてあった。あれが出たのは占領下だから、(『わだつみ』を)カットしたのはGHQかもしれませんね。

 いまの時代は自己検閲になってませんか。それは売れないよ受けないよって、政治的なこともひっくるめてダメだと」

 

 『無法松』で特徴的なのは、回想シーンの長さ。

 

荒井「省略もすごいですね。検閲ではなくて、シナリオの省略ですね。

 回想の使い方も。(主人公でない)人の話も回想でやってますね」

山田「視点をひとつのところにしない。ぼくはあまり気にならなかったです。自分(のシナリオ)では回想はほとんど使ってない」

荒井「エッセイにも回想は嫌いって書いてましたね」

山田「回想で青年(役の俳優)が出ると見てられないけど、子役ですから、抑制のセンスがある。あのシーンを(自分が)子どものときに見ていても、強く残ってる。回想を画にするのも抵抗がない時代。演出が洗練されてくると何やってんだとなってくるけど、あの時代で子役なら許されるかな」

 

 青年時代を演じた俳優についても語られた。

 

山田「青年時代は川村禾門さんという方。ぼくは20代に松竹大船で助監督をやっていまして、そのころ大部屋の俳優さんで、大部屋の中では偉い人。ぼくらは敬意を表して“禾門さん、お願いします”って。『無法松』の青年役に抜擢されるってあの人の人生には大変なことで。

 戦争中に映画界は統合されて、初めは日活にいて大映に移った女優さんと禾門さんは恋し合って結婚される。講談社の「本」で1月から連載が始まった「戦禍に生きた俳優たち」に禾門さんと奥さんの森下彰子さんの話が載っていて。結婚したけども禾門さんは兵隊にとられて京城に行ってしまって。彼女は、丸山定夫さんたちと慰問団に参加して、全国を回る。8月に広島で亡くなるんですが、死ぬまで毎月、両方で手紙を書き合ってて。奥さんの手紙が30通以上残っていて、いじらしい。映画のチャンスもなければ、亭主は京城へ行ってしまって、やがて死んじゃう。禾門さんは戦後も生きていらして。禾門さんは戦前の二枚目で、戦後に三船敏郎が出てくると、なかなかメインには…。お歳も召していましたし。私は、撮影で声をおかけしただけで、個人的なつき合いはなかったですけど、感慨深かったですね」

荒井「奥さんは桜隊にいたんですね」

山田「仕事がなかったんじゃないでしょうか。男は兵隊に行っちゃうし。

 カレンダーに“無法松”って書いたら、女房に何?って言われて、横浜で喋るって言ったら、女房が(「本」のことを)教えてくれて」

 

 『無法松』の未亡人役・園井恵子も、桜隊に参加し、広島原爆の犠牲となった。

 稲垣監督は戦後(1958年)に、『無法松』をセルフリメイクした。三船敏郎が主演。

 

山田「(リメイク版は)見てるけど、記憶にない。“きたない”っていう三船敏郎のシーンは覚えてるけど。阪妻版とは差があると」

荒井山田洋次さんのでパロディがあって、ハナ肇が“きたない”って言ったら、桑野みゆきが“どっかに落っこったの”っていう。あのころは洋次さんも冴えてましたね(笑)」

 

【描写の細部について】

 山田先生は助監督をしていた時代に、小津安二郎監督『秋刀魚の味』(1962)のワンシーンに違和感を覚えたという。バーのママ(岸田今日子)が結婚式帰りの主人公(笠智衆)を見て「お葬式?」と訊くのだが、水商売ならネクタイで気づけと思ったと、山田先生は『月日の残像』(新潮社)に自嘲気味に記している。

 

山田「助監督としての指摘ですね。助監督をやると、配慮するセンスが磨かれてくる」

荒井「それはもっともだと思うな。誰もそこに引っかからなかったのか。自分で監督したとき、そういう助監督ほしかったですよ」

山田「ああ、雇われたかった(一同笑)」 

 

 話題は時代考証のことに及んだ。

 

荒井「時代が前だとよく判らない。チェックしてもらうけど。(自身の脚本・監督の)『この国の空』(2015)では、佐藤忠男さんは大丈夫ですよって言ってくれたけど。

 『おかあさんの木』(2015)では、出征するときに軍服を着てる。軍服は、軍隊に入ってから支給されるんだけど」

 

 その『この国の空』では、山田先生はコメントを断ったのだという。

 

山田「見てすぐ何か言うって無理なのね。(見終わって)出てきて監督が立ってたりすると、倒れたくなっちゃう(笑)。謹んでお断りしてる。

 拝見してひとつ引っかかるところがあって、(劇中の)ラジオで“東部軍情報”って。ラジオの“東部軍管区情報”に強い印象があって、声の張り上げ方から何から。それが“東部軍情報”ってちょっと省略してある。どうしてだろうって思ったら、途中から省略するようになったと」

荒井「現物を聞いて、アナウンスを真似してやりました」

山田「初期だけなんですね。空襲が始まると、“軍管区”の言葉も省略するようになったと」

荒井「だったらコメント書いていただければ(一同笑)。軍服問題もあるけど、怖いですね。麦こがしもあれじゃダメだって人もいて、自分の体験でもって否定されると…。一票減ったのかよって」(つづく)

 

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