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手塚るみ子 トークショー レポート・手塚治虫ガールズ&ラブリー 版画展 (2)

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【展示作品の解説 (2)】

るみ子「「白くじゃくの歌」は、天才ピアニストの少女が主人公。だいたい少女があこがれるのは、クラシックバレエかピアノです。『ルードウィヒB』や『野ばらよいつ歌う』など手塚( 作品)は音楽家が主人公になることが多くて、その中のひとつです。

 手塚自身が、クラシック音楽が好きで、うちの祖母や叔母がピアノをやっていたので、手塚も見よう見まねで弾いていました。こういう作品に表れていますね。

 「びいこちゃん」は幼い子ども向けの絵本で、手塚版『みつばちマーヤ』ですね。短いお話ですけど、私はこれが幼いころから好きで。絵がかわいいので外せないなと。線も淡くて美しいです」

 少女向けではないが『火の鳥 未来編』もある。

 

るみ子「1970年代の『火の鳥 未来編』。全くタイプの違うもので、私の個人的な趣味でいいなって思ったのと、この絵はふたりの心が通ったのが感じられる愛にあふれた絵だなと」

火の鳥 3

火の鳥 3

 他に、マンガでないイラストも展示されている。

 

るみ子「お蔵出しのものでは、「ファンタスティックフェアリーズ」。手塚はマンガ家の絵本の会に入っておりまして、1年に1度イラストを描いて丸善さんに飾る。毎年テーマがあってみなさんが描くんですが、これがかわいいと思ってチョイスしました。お話も何にもないんですが、こういうのも描いてると。手塚プロの原画展にもなかなか入らないんで、お見せしたいなと」

 

 「キャットプリンス」は、題名がなく、今回名付けられた。

 

るみ子「「キャットプリンス」は、原画じゃなくてネガが偶然出てきて、何の絵か判らない。マンガでなく一枚絵として描いたもので。人気があって、「キャットプリンス」だけ買っていくお客さまも多いですね。

 ネコは手塚家と縁があって、手塚作品はネコ率が高いですね。ムクとチロというネコを飼っていて、東京に家を買ったとき、両親を呼び寄せてネコも連れてきた。私が物心つく前に老衰で亡くなってしまったのですが、手塚はネコに親しんできて、身近な家族のような気持ちがあったというか。色っぽい、大人っぽいネコが出てくる作品もありますね」

 

 手塚るみ子氏は、手塚治虫の個展を多数プロデュースしている。

 

るみ子「時代や雑誌のテイストによってタイプも違って、描き分けもあったでしょうが、少年誌青年誌だけでなく、こういうところもある。乙女心をくすぐるようなイラストも描いてきたとわかっていただけたらと思います。

 一昨年に「美女画展」という裸婦を集めた個展をやらせていただいて、今年3月に「手塚治虫のヒロインたち」という企画展を宝塚でやります。1989年に亡くなるまで、さまざまな女性たちを描いてきた。ここ数年は、違った一面を見ていただきたいと思って展開しております」

 

【手塚作品の中のるみ子氏】

 るみ子氏は『マコとルミとチイ』に実名?で描かれている。その他にも劇中に登場する。

 

るみ子「(少女マンガは)私が生まれる前に描かれまして、私が生まれた途端にぱたっと止めた。現実に娘が生まれて少女が麗しくなくなったのかな(笑)。『ブラック・ジャック』が描かれたころ、私は幼稚園から小学校の低学年でしたのでピノコのモデルかもしれません。ピノコには性格も似ていまして、わがまま、泣き虫、いいと思ってやったことが裏目に出るとか(笑)。(『鉄腕アトム』の)ウランちゃんのモデルですかってよく訊かれるんですが、あちらのときはまだ生まれてませんでした。

 『ブッキラによろしく!』は私が大学に入って19、20のころで、(ヒロインの)トロ子は私自身が読んでいても、見た感じも性格も似ているかなと。就職のときマスコミに行きたいと父に相談していて、あのトロ子のマスコミ志望で何も考えていないところとか。トロ子のシャワーのシーンは、スタイルが私と全く同じですね。いつのぞいてたのかなって(一同笑)」

手塚治虫の想い出】

 この日は1月10日。

 

るみ子「あしたが成人の日ですね。よく話していますが、手塚は子どもに甘い父親でして、怒られた経験がひとつもない。母は躾けに厳しくてガミガミ言ってたんですが、父は読者の子どもの味方でいたいと放任主義で、父から説教されるということはなかった。

 私は母に嘘八百を並べてまして。20歳になったころ、ボーイフレンドとデートして帰りが遅かったんですが、父が私の部屋をノックして、“ルミ子、いいかな”と。私が“お金出して”とか“こういうことしたい”って父の部屋へ行くことは多かったんですが、来ることは珍しくて。“20歳を迎えて大人になったお前に言いたいことがある”と。“これから大人として接していく。だから親に対して正直に、嘘をついてくれるな”。母に嘘をついていたのが全部父にばれていたんだ、あいたたた。父親にばれていたのが、娘としては痛い。生涯たった一度小言を言われた。その後いい子になったわけではないんですが、20歳のときに父とそういうときを過ごしていたというのが、想い出としてあります」

 

 展覧会が行われたのは銀座。

 

るみ子「子どものころ、家族でよく銀座に出かけていて。手塚は忙しかったんですが、自分の誕生日の11月3日とクリスマスには家族で外食するのが恒例行事でした。父がお店を見つけて連れていくという家族サービスで、だいたい銀座か日比谷。お店は父が決めていて。

 小学校の低学年で高級フレンチに連れていってもらって、“子羊のステーキ”を覚えて、兄(ヴィジュアリスト手塚眞氏)は“サーロインステーキ”を覚えて(一同笑)。どこへ行っても“子羊”“サーロイン”。生意気な子どもでしたね(笑)。銀座にはそんな家族の想い出があります…」

 

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