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えびはら武司 × 高峰至 × 坂本享哉 トークショー レポート・『藤子スタジオアシスタント日記』(2)

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藤子スタジオの想い出 (2)】

えびはら「ぼくがいたのは、『ジャングル黒べえ』が終わって、『ドラえもん』も終わるかもっていう、藤本(藤本弘)先生の火が消えかけて淋しい時期。安孫子安孫子素雄)先生は劇画のほうへ乗り換えて、手間のかかる絵だから、スタッフみんながそっちへ行ってた。ぼくは藤本先生を全部ひとりでっていう使命感で。

 ぼくの席はゴミ箱に近かったんです。朝来て、整理して、鉛筆削って、掃除したり進んでやっていた。すると原稿が棄ててあるんですね。あのころ、藤本先生は失敗した原稿をいっぱい棄ててた。もったいないので、いくらかぼくがもらって、藤子・F・不二雄ミュージアムにも寄贈しています。ネーム帳も、ばさっと山のように棄ててた」

 

 当時の写真も多数紹介された。

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【高峰至氏】

 つづいて高峰至氏が登場。高峰氏はもとより手塚治虫のファンだったが、藤子スタジオに入社。細密な絵が得意で、藤子・F先生の「みどりの守り神」「ノスタル爺」、藤子A先生の『愛ぬすびと』(復刊ドットコム)といった名作の背景画に高峰氏の筆が入っているという。現在は “スタジオネコマンマ” を主宰され、コミックプロデュースの仕事をされている。

高峰「この企業名、銀行とかで呼ばれると恥ずかしい(笑)。

 (藤子スタジオの在籍)当時、えびちゃんに言葉づかいについて注意した」

えびはら「全く覚えてない(笑)」

高峰「生意気とは違う親しみがありましたね(笑)」

愛ぬすびと [完全版]

愛ぬすびと [完全版]

 藤子スタジオにて長くチーフアシスタントを務めて、『ドラえもん百科』(小学館)も執筆したのが故・方倉陽二氏。

 

えびはら「当時は、藤本先生と安孫子先生とで机を並べて描いているのかと思ったら、藤本先生の隣にホームレスみたいな人が来て、それが方倉さん。方倉さんは机でずっと寝てて、みんなが帰った後、夜ひとりで仕事していて、仕事はすごく速い。だから昼は、仕事場で寝てる。ちょっと心配になったけど、早くに亡くなりましたね」

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高峰「方倉さんは昼来て寝ているから、みんなで宝くじが当たったっていたずらした。藤本先生は嘘だと知ってたけど「すごい」って乗ってくれて、騒ぎが大きくなった。隣の部屋の安孫子先生も「どうしたの」って出てきて。ばれた後、方倉さんは「金返せ」とか言った後、口聞かなくなった(一同笑)。あと、藤本先生の原画に墨汁こぼしたって言ったり」

えびはら「藤本先生は、失敗した原稿をゴミ箱に捨てることが多くて、その中の1枚に墨汁をたらして、片倉さんの机に置いといた」

高峰「でも平気そうでしたね。「ホワイト入れよう」って」

 

 他にもアシスタントにはユニークな人がいて、『藤子不二雄アシスタント日記』(竹書房)でも触れられている。

 

高峰「すごいアシスタントもいて、安孫子先生の「マグリットの石」のモデルになったね。集中力のある人」

えびはら「安孫子先生の『黒べえ』とかを手伝ってた。さすがに時間をかけて描いた絵ですね。彼は安孫子先生に影響を与えていて、創作意欲を刺激したんじゃないかな」

 

 藤子・F先生のシリアス作品には、高峰氏も尽力されたという。

 

高峰「藤本先生が大人向けの作品を描き始めた時期、重い内容なので、えびちゃんじゃなくてぼくがやっていました」

えびはら「あのころ「コロリころげた木の根っ子」のよさが判らなくて。いまは判るけど」

高峰「先生は、自分の本質はああいうのでそれをオブラートにくるむと『ドラえもん』になるんだって」

 

 「コロリころげた木の根っこ」は、『マツコ&有吉の怒り新党』でも取り上げらた恐怖短編。『藤子・F・不二雄 異色短編集 ミノタウロスの皿』(小学館文庫)などに収録されている。

ミノタウロスの皿 (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉)

ミノタウロスの皿 (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉)

 えびはら・高峰氏が在籍された時期は、藤子不二雄の両先生のコンビ解消前で、創作は別々でも、インタビューやテレビ出演などはふたりいっしょのことが多かった。

 

高峰ドラえもん関係のインタビューで、藤本先生がいなくて、安孫子先生が喫茶店でインタビューを受けたことがあって。藤子先生は気にしてて「安孫子が出たんだよ…」って。逆の場合もあったからね。「(安孫子先生の)『魔太郎がくる‼』みたいなの描かないでください」ってファンレターが来て、藤本先生は傷ついたり」

 

 その他の発言をランダムに紹介したい。

 

高峰藤子不二雄25周年パーティーでは手塚先生が遅れてきて、会場を借りる時間が過ぎても来ないから、マネージャーは焦った。でも先生が来たとき、会場は静寂につつまれました。

 このときは、梶原一騎さんとさいとうたかをさんの名札をつけ間違えちゃって、梶原さんは名札を棄ててた(笑)。

 ぼくは少し手塚プロへ行ったこともあって(ハードなので)ここにずっといたら死ぬなって(笑)」

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高峰「『ドラえもん』を79年にアニメにしたとき、10年分くらい原作がストックされてた。当時『Dr.スランプ』は原作を使い切ってすぐ終わりましたね」

えびはら「あのころ高峰さんが「『ドラえもん』を本にして出そう」って言ってて。高峰さんがやってたら、いまごろは(笑)。あのころから企画力がすごかったですね」

高峰「旅先で、子どもが帽子にドラえもんの絵を描いてかぶってるのを見て。ぼくがその話をしたら、藤本先生は喜んでました。後に、こんなブームになるとは」 

えびはら「香港へ行ったとき、『ドラえもん』の海賊版があって、畳は(土足の床に)うまく描きかえてあった。藤本先生は喜んでましたね」

 

 『藤子不二雄アシスタント日記』の巻末に収録されたイラストが紹介され、司会の宮田翔子、三池さくら両氏の作品も映された。終了後に近くの居酒屋で、えびはら先生を囲む飲み会もあった。

 

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