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白と黒の熱情・稲垣高広『藤子不二雄Aファンはここにいる』

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 藤子不二雄コンビ(藤子・F・不二雄、藤子不二雄A)と言えば、55歳以下の日本人で彼らの作品を見たことも聞いたことも全くないという人はおそらくいないであろう、漫画界の巨匠である。しかし、彼らの作品世界について論じた本は意外なほど少ない。筆者のような藤子先生ふたりから50近く年の離れたファンにしてみれば、キャリアの半分以上は生まれてもいないだけに、過去を記録した資料や検証する評論が少ないのは残念だった。


 ほとんど唯一あったのが米沢嘉博藤子不二雄 FAの方程式』(河出書房新社)だが(論というよりも藤子ヒストリーという感じの本だった)、この著者も53歳の若さで急逝してしまい、また藤子研究に暗雲がたちこめる気がした。

 



 ところが今年になって唐突に(と言っては失礼だが)、稲垣高広編『藤子不二雄Aファンはここにいる』(社会評論社)が出現。この本は藤子不二雄A先生に絞って年季の入った藤子ファン7人が藤子A作品を喋り倒すという構成になっており、作品論としてもガイド本としても読み応えのあるものになっている。

 かつて和田誠森遊机『光と影 真実と嘘』(河出書房新社)という映画監督の市川崑についてファンがその魅力を話し合う本があり、浅くていまひとつ物足りなかっただけに、今回もそうなってしまうのではないかと心配だったのだが杞憂だった。

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 この手の本を読む愉しみは、自分の知らない作品世界を教えてもらえるということと合わせて、同好の士を見つける嬉しさである。
 藤子A作品といえば、黒を基調としたイラストのタッチやホラー趣味、表現上の実験などの特色があるけれども、個人的にまず思うのが“いやな奴”の存在。この点は藤子F作品でも『ドラえもん』のジャイアンスネ夫の悪役ぶりなどが挙げられるが、いやな奴の悪質さではA先生も負けていない。『まんが道』や『少年時代』、『鎖のついた武器』での多種多様ないじめ役など、とにかく憎々しく、先生はどれだけいやな奴のモデルパターンを蓄積しているんだろうと思うくらいだが、


 

ああいうイヤな奴を描くのがうまいですねえ。ああいう奴に個人的な恨みでもあるかのようです(笑)


「嫌な人間に遭遇したときの心理描写が非常にリアルで(…)『イヤだ』と思う部分が癖になってしまう中毒性があります」


 

というコメントなどに、自分が漠然と思っていたことを言語化してもらえた快感がある。


「あのころはネットもないし携帯電話もない。(…)手書きの手紙で頻繁にやりとりしていたのです。便箋に綴った文字で藤子マンガへの純愛を誓い合っていましたね(笑)」という著者たちだけに(なんとなくうらやましくなる)、評言はいちいち的を得ている。

 

 『少年時代』を論じたコメントで「権力争いも、悪夢のような憎しみあいも、腹を割ってつきあえないもどかしさも(…)社会的動物たる人間のある限り、永遠に続く痛みでもあるんです」というものがあるが、こういうダークサイドを巧みに描いていやな奴らを暗躍させるかたわら、A先生にはエッセイなどに見られるように、漫画界や小説界、ゴルフ界や芸能界にまで広範な人脈を持って、人間への情愛が深い面もある。

 その分裂というか二面性が長年気になっているので『ここにいる』シリーズに続編があるのなら、A先生に同居する人間愛(大げさだが)と憎悪との二律背反もぜひ論じてほしい。

(このしばらく後に、『藤子不二雄Aファンはここにいる Aマンガ論序説』〈社会評論社〉が刊行されている。)

 

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