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私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山田太一のアンケート(1997・2004)

山田太一

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 古雑誌を整理していたら、敬愛する脚本家の山田太一先生がかつて答えたアンケートが出てきたので引用したい。

 ひとつ目は、1997年にいまはなきテレビ誌「TeLePAL」(小学館)に載ったもので、他に数多のシナリオライター・演出家・プロデューサーが回答している。

 

生年月日:1934年6月6日

出身地:東京

出身校:早稲田大学

現在の所属:日本脚本家連盟、文芸家協会、シナリオ作家連盟

ドラマ界、放送界に入ったきっかけ:松竹大船撮影所演出部にいてシナリオを書き始めて

現在携わっている作品:ふぞろいの林檎たちⅣ』

過去に携わった主な作品:岸辺のアルバム』(TBS系 77年)、『想い出づくり。』(TBS系 81年)、『男たちの旅路』(NHK 76〜82年)、『日本の面影』(NHK 84〜82年)

表彰・受賞歴:芸術祭大賞、放送文化基金賞向田邦子賞芸術選奨文部大臣賞、毎日芸術賞菊池寛賞山本周五郎賞

平素よく見る番組:X-ファイル』『新婚さんいらっしゃい!!』(テレ朝系)、『NHKスペシャル』(NHK)、『THE夜もヒッパレ』(日テレ系)

ドラマ作りのモットーや信念、座右の銘「いくらなんでも、それはよそうよ」と思うことはやらないこと

(以上、「TeLePAL」1997年 No.9より引用)

 

 「いくらなんでも、それはよそうよ」というのは、山田作品の台詞みたいで笑ってしまう。それにしても、華々しい受賞歴…。

 いまひとつは、2004年に『別冊宝島1001 シナリオ入門』(宝島社)に掲載されたもの。

 

シナリオライターになるきっかけ:就職難であちこち受けていましたら、映画会社が助監督として採用してくれました。助監督をしているうち、自分は監督よりシナリオを書くほうが合っているのではないかという気持ちになってきました(ほんとは、もっといろいろあるのだけれど)。

シナリオを書くうえで大事なこと:持続して自分の嘘の世界に集中できること。孤独に強いこと。他に能がないこと。

シナリオの書き方をどのように覚えたか:たくさんのシナリオを読んだこと、木下恵介監督の下について助監督をしているとき、監督のシナリオ執筆の口述筆記をたくさんやらせていただいたこと。

映画用とテレビドラマ用のシナリオの書き方の違い:観客の立場になってみてください。たとえば集中度などに差がありますよね。そういう細かなメディアの差に対応せざるを得ないと思う。

参考にした映画、ドラマ:これは数え切れません。駄作を含めて、見た映画、ドラマの影響を受けています。

参考にした作家:木下恵介水木洋子和田夏十黒澤明小津安二郎倉本聰向田邦子田向正健。二十代に助監督としてついた木下監督、そのころのシナリオライター、監督の脚本はやはり繰り返し読んで教えられることが多々ありました。倉本、向田、田向の三氏はほぼ同世代の同業者として、いろいろな意味で刺激を受けました。

実際にプロのライターになったきっかけ:助監督では金銭的に世帯を持つと苦しかったということもあります(いろいろあるのだけれど、人生をアンケートで要約できません)。

シナリオライターとして遭遇したトラブル:私はスタッフやキャストに恵まれたと思っています。深刻なことはありませんでした。そりゃあ他人に不満を抱くけど、もっと自分に不満を抱いてる、というと綺麗事めくけどメイン・トラブルはやっぱり自分だな。

自身のベスト3:どれをあげてもほかの作品にはすまないという気がしてしまう。

作品数、年収、生年月日とキャリア:数えたことありません。自己愛が強いみたいではずかしい。年収は変動が激しく、前年と二、三〇〇〇万円違うこともあります。34年6月6日生まれ、キャリア40年。

シナリオ作家という職業をつづけていくうえでの問題点:映画もテレビドラマも多額の金をようする仕事ですから、圧倒的な営業的配慮でなにもかも失いかねないような仕事もあります。そういうときは目先の不利には目をつぶって、おりること。シナリオライターとしての自分の輪郭に意識的であること。そうでないと、いつの間にか、なんでもそこそここなす技術提供者になってしまいます。無論、それもひとつの生き方ですが。

(以上、『別冊宝島1001 シナリオ入門』〈宝島社〉より引用)

シナリオ入門―新しいドラマの読み方・つくり方 (別冊宝島 (1001))

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