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私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

対談 山田太一 × 奥田英朗“総ての人が〈人生の主役〉になれるわけではない”(2004)(2)

奥田 物語をつくる際、どこか他者の視点を入れることを心がけてらっしゃるんですか?

 

山田 そうですね。年代というものは人間をかなり規定している。ですから若い人たちの姿を描くのに、別の年代も同じくらいの水準で入れていかないと、主役である若者たちの描き方が平板になってしまうような気がして。

 

奥田 なるほど。『男たちの旅路』でも桃井かおり水谷豊さんがすき焼きを食べてて、「もっと食べろよ」「だれかがいると私あまり食べられない。一人だと食べられるんだけど」というやりとりがあります。高校生の頃は何とも思わなかったのに、大人になって脚本を読み返すとこの箇所が胸に沁みる。僕も人と一緒にいると緊張して食べられないことがあるんです。

 そういう、本筋と関係ない、生きた台詞をふっと挿入するのは、戦略的にではなくて、もともとの気質として出ちゃうわけですか?

 

山田 戦略ではありませんね。書くことの楽しみはそういうところにあるという気持ちです。だからストーリーはゆっくり進行させて、でも遊びを入れておもしろくするには、役者が上手で演出もその味をわかってないとできない。遊びをただの無駄と思わない演出家じゃないと駄目なんですね。

(中略)

奥田 僕は山田太一作品の根底には“悲観主義”が流れていると思います。言い換えると、自意識の低さというか自意識を嫌う感覚。

 これもエッセイで拝読したのですが、大学合格の祝いの席でお父様から「思い上がっちゃいけない。世間はおまえのことなんて気にしていないんだ」と言われて、納得してしまったとか。十八、九歳という恐いもの知らずの時期にそこまで自意識を低く保てることに、驚きを覚えます。

 

山田 父は僕が子どものころからよくそう言ってたんです。庶民で大して金も持っていなければ、自分に関心を持ってくれる人なんてそうはいないと。同時に父は自分の寂しさを語ってるようにも思いましたが…。たしかに僕はずっと遠慮っぽいところがある(笑)。

 

奥田 世の中は今まったく逆ですよね。八〇年代以降に、例えば運動会で順位をつけないとかして、だれもが主役であると教え始めた。みんな、自分の人生はもっと有意義でなくてはならないとか、自分を過大評価しちゃってるんですね。

 

山田 その種の積極性は生きていくために必要ですから、僕にも歪んだ形であると思います。しかし、いくら自分が主役と思おうとしても、現実には、顔の造作からどの家に生まれたかまで、世の中不平等だらけですものね。

 

奥田 妙な平等意識の果てに自分探しへと行き着くんじゃないでしょうか。以前どこかで山田さんが「その資格のない人間までが生きがいなどと言い出す」という大変厳しいことを書いてらした。一文だけ抜粋すると薄情に響きますが、つまり生きがいなんてものが人間を苦しめているところがあるのではないかということですよね。

 

山田 過剰に生きがいを求めることに疑問を感じるんです。水害が一度あればとたんに何年も続くダメージを食らうように、文明社会はある面で実に無力です。

 精子卵子の段階から、人として生まれて、次々に降りかかる難問を切り抜け切り抜けして三〇代四〇代になっていくのはそれだけでもすごいことなのに、なおかつ生きがいだなんて言う。

 

奥田 でも今はだれもそんなふうには考えませんよね。

 

山田 平和時には人間は目の前のことに慣れてしまいますからね。しかしひとたび地震が東京で起きれば、翌日からはみんなそう思うでしょう。

 

奥田 何かすべてが保証された中に生きているつもりでいるという。生きがいすらも保証されていると。

 

山田 それは大きな錯覚だと僕は思います。

 

奥田 近ごろ犯罪被害についての報道を見てても違和感を覚えるんです。犯罪者に対して極刑を求めたり親が出てこいと要求したりしますよね。何か人間に対するあきらめが足りないんじゃないかと僕は思ってしまうのですが。

 

山田 そうですね。あきらめるのはとてもむずかしい。よくあきらめるということは無気力状態で何もしないこととは違います。実現可能なことに対する感度をみがいて、可能なことに執拗になることです。実現不可能なことにいつまでも拘るのは一種のセンチメンタリズムです。

 

奥田 山田さんのドラマや小説すべてに共通するのがそのあきらめの部分。世の中に対しても自分の人生に対しても、過度に期待しない、あまり踏み込まない。

 

山田 ええ。やたらと真実とは何ぞやと追究する姿勢、そういう生き方が美化されすぎている。真理ばかり暴いていては生きていけない。人間は実に頼りない存在で、真実というものを掘り下げていくと、壊れてしまうところが人間にはあると思う。

 

奥田 ええ、そうですよね。

 

山田 “真実”というのは恐いものだと思うんですね。だから、よく生きる人は、真実に深入りしない。

 

奥田 山田さんのドラマは主題を持ち込むけれど、声高に叫ばない。主題の周辺を多様なアプローチで描いて、肝心のそれに関しては皆さんどうぞ考えてくださいと下駄を預けていると思います。

 

山田 僕は哲学者とか宗教家ではないから、答えがわからないんですよね。少し馬鹿じゃないと小説なんて書けない(笑)。

 

奥田 山田さんの「裁かない」ところと「断言しない」ところが僕はものすごく好きなんです。

 

山田 さっき引用したE・M・フォスターみたいな人、何かあきらめてるような深入りしないようなそういう生き方、僕も好きですね。いかに正義であろうと、だれかの個人生活をやたら壊してまで主張したくない。正義なんて完璧に実現するはずないんだからほどほどにしたいと。僕はやっぱりまず個人レベルでつき合った人を大事にして、それ以上の観念的なものにはあまり深入りしたくないと思っています。

 

奥田 山田さんの物語で女性の視点がすごくリアルなのは、山田さんご本人が、男たちがやっている“大義”に関して冷めた目でご覧になってるからじゃないでしょうか?

 

山田 女性の目で相対化するところは、ありますね。だいたい僕は家で掃除洗濯してるの嫌いじゃないんです。家の前を箒で掃いてても楽しい。そして、そういう部分を手ばなしちゃうと、作品がどこか上滑りしていく気がします。

 

奥田 『岸辺のアルバム』(TBS金曜ドラマ/七七年)や『シャツの店』(NHKドラマ人間模様/八六年)で八千草薫さんが演じたような役(自分の人生に懐疑や不満を持ち大胆に行動する女性)をあそこまでしっかり描ける男性のシナリオライターは、当時は、ひょっとして現在もですが山田さん以外にいなかったんじゃないでしょうか。

 

山田 そんなことはありませんが、当時はまだ現在のようには女性の現実が描かれていなかったんですね。女性作家でも、男の視点で男が考えるような女性を描く方が多かったですね。しかし、自分に娘が生まれて、こりゃあこの男社会は、このままにしとけない、テレビで少しでも…という個人的事情がありましたね(笑)。 

 以上、「文芸ポスト」Vol.26(小学館)より引用。(つづく)

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