私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

高橋洋(脚本家)トークショー レポート・『リング2』(3)

 (『リング2』〈1999〉の)ホンでは、プールがざわざわすると、由良よしこさんの看護婦がコードにつまづいて転んで、照明灯が揺らいで感電事故が起きる。それで水に触れてた人は終わり。これには都市伝説が当時あって、六本木アークヒルズのプールで写真撮影中に照明灯が倒れて、プールにいたモデルがみな感電したと。多分嘘だけど、それをやろうと。

 何故かそこで中田(中田秀夫)監督と大喧嘩。どうして揉めたかは忘れたけど、中田さんは反対して現場で変更。映画では、小日向(小日向文世)さんが発狂してああなったと。自分で(プールに)入ってしまって。ぼくは、小日向さんは最後まで明晰な人と思っていたんです。だから狂ってないほうがよかったかな。

 その後で井戸に飛ぶのは、田中陽造さんの『地獄』(1979)のような観念バトル。最近の映画だったら『ダークナイトライジング』(2012)みたいな縦穴を使った戦いで、あれは西洋的なイメージです。でもやろうとすると、現場にすごい負担をかける。見ていて、みなさん大変だったなと。

 ホンにはないけど、中谷(中谷美紀)さんと陽一(大高力也)くんが横に倒れているけど急に(構図が)縦になって、すると急に重力に引かれる。(過去に8ミリ映画の)『夜は千の目を持つ』(1984)でやっていて、それは言わなかったけど(笑)中田さんはちゃんと撮ってくれました。

 書いていて、乗っているときには反復する。松嶋菜々子はおそらく、お父さん(村松克己)にビデオを見せて帰った。そのとき陽一くんがテレビに何か見て、テレビを叩き割った。中盤では中谷さんが戸を割る。計算しないけど反復する。意識してないけど、乗ってるときはそうなるんです。

 『リング2』ではシナリオの柱にト書きを書いています。このシリーズは2本立てで、その性質上90分というのが絶対命令。『リング』の1作目は台本が100ページ切るくらいだったですけど、『リング2』は90分に収まるのか。だからものすごい勢いで行くしかない。だから柱にト書きを書いて、映画のリズムを指定してしまって、いまは反省してます(笑)。結局、シーン数は少ないですね。

 ( 「目の奥に何か見ている姿」というト書きについて)シナリオでは、常に自分が見たことのある映像を文字に書き起こしています。黒澤明監督の『野良犬』(1950)で、閑静な住宅街で主婦が殺される。出張から戻った夫が茫然として、それが「目の奥に何か見ている姿」で、いつかこれ使うぞって。自分で監督するときは、こういうト書きは書かないです。中田さんは理屈で伝えないと納得してくれないというか、組む監督のタイプで変わる。『インフェルノ 蹂躙』(1997)を撮った北川篤也監督は、当時中田さんとともににっかつのエースと目されていて、変なト書きに反応してくれる人でした。安心して委ねられる感じがあったな。読み返すと変なト書きだらけ、反省しています(笑)。『インフェルノ』は、頭のおかしい夫婦が人を殺しまくる。ホンの最後の1行は「こうして稀代の変人カップルは滅びたのである」。北川さんは「撮れってことですよね」と、ちゃんとやってくれました。

 リングシリーズの予算は1億ちょっとで、当時のミドルバジェット。予算というより日数ですね。ロケ場所を移動してるとその間に撮影できないから、なるべくロケセットを集約して、そこで何日とか考える。このころはミドルバジェットの映画がつくられていたけど、いまやっている仕事で縦穴を出したら、ぼくが思っている以上にお金がかかると。それで階段にしました。いまは当時より予算が厳しくて、縦穴もやめてくれって(笑)。

 『リング2』は怖くなかったと、真剣に思います。最初に山本老人(沼田曜一)が白布の貞子を見ると、黒い髪が一瞬見える。映像だと増毛したみたいで(笑)そうじゃないんだよな。横にあふれた髪が、さらっと…。(映画のように)ぶい〜んと上から下に伸びても、おどかしの意図を感じる。狙ってる感があると。『リング2』の終わった後で(中田監督と)大喧嘩しました。

 貞子の顔はどうするか、悩んだ末に、テレビでたまたま身元不明の顔の復元劇をやってて、その映像が怖かったとか。昔、銭湯とかに身元不明の人相書きがあって生気のない顔で、そういうのがいいと。でも映画ではあまりうまくいっていなかったなというのが、正直なところ(笑)。

 『リング』シリーズでブレイクした中田秀夫監督は『インシテミル 7日間のデス・ゲーム』(2010)、『クロユリ団地』(2013)など当然メジャーな映画を手がけていくが、脚本の高橋氏は『ソドムの市』(2004)、『恐怖』(2010)などの比較的マイナーな作品の脚本・監督を務め(ご本人も『恐怖』は「観客を選ぶ」作品であると認めている)独自の道を歩んでいる。