読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

中野昭慶特技監督 トークショー レポート・『ゴジラ』(2)

f:id:namerukarada:20141224011024j:plain

【『ゴジラ』(2) 】

中野「(この時期には)東宝ゴジラ団とかファンのグループもあって、同人誌とかね。

 最初の準備稿では、ラストシーンだけない。スタッフにまでラストを隠してどうするんだよって。スタッフにIDカードを配って、前から下げろとか。撮影が始まったら見学禁止で、スタジオの入口でガードマンが立って、IDカードを見せなきゃいけない。それだけ必死だったんだね。

 噂では、監督には恩地日出夫さんの名も挙がっていたよ。ちらっと聞いただけだけど。当時恩地さんはジェームス三木さんの「アダムの星」というSFのシナリオをやろうとしていた。恩地さんは結構乗ってたんだけど、でも東宝は思い切りがつかなくて(実現しなかった)。

 スタッフにはゴジラをやったことがない人がいいと思ったのかな。音楽の小六禮次郎さんとか。いい曲だと思ったけど。

 (田中)友幸さんは核を前面に出したい。でもぼくは、ぬるま湯に浸かった日本人に見せるのは、ちょっと違うんじゃないかなって。(脚本の)永原秀一さんと(プロデューサーの)田中文雄と喧々諤々。基本的に、ゴジラは神でなく動物でいこうと。帰巣本能とかね。

 原発を襲うシーンでは、上から手を突っ込むのは上が柔らかいからで、核はあぶないぞっていう。核も前面に出すのは難しいかな。アメリカ版ゴジラ(『GODZILLA ゴジラ』〈2014〉)では、核(の描かれ方)はサラッとしてたけど、あれだけでも立派だよね。

 対戦相手がいたほうが、らくだね。画も派手にできるし。ひとりで何やるの(笑)。一人芝居は難しい。

 1作目では、銀座の和光がいちばん高かった。でも新宿にあんな高層ビルが建って、仕方ないから設定を変えてゴジラを80〜100メートルにしようと。次の新作ゴジラでは、600メートルぐらいにすればいいんじゃないかな(一同笑)。

 ゴジラの巨大感を出すために実物大をつくろうって言って(笑)、片足だけつくった。

 サイボット・ゴジラとぬいぐるみとで顔が違う。2匹いるのかと言われて、ゴジラは怒ると顔が変わるんだって(一同笑)」

 

 クライマックスのゴジラ進撃シーンでは、有楽町マリオンや新宿のビル街がゴジラに破壊される。

 

中野「当時、マリオンは出来たて。ニュースバリューもあるし。ロケハンや撮影のころは、まだ東宝マークが付いてなかったね。

 高層ビル(のセット)は、窓の明るさが(それぞれ)違うようにした。日本人は働き者だから、夜中も電気が煌々とついている窓もあれば、真っ暗なのもある。美術には文句も言われたけど。

 ゴジラが3万トンの体重で住友ビルを動かしたらどうなりますかって(特別スタッフの)大崎(大崎順彦)教授に訊いたら、下から折れますって。言い訳だね。散々言われたんだよ、ぼくは。『日本沈没』(1973)の高速道路もあんなふうに壊れないとか(笑)。

 この『ゴジラ』で、シネマスコープからビスタサイズになった。シネスコじゃテレビ放映できないって言われて、ビスタなら一部切るだけでいいからね。シネスコで撮れたら、もっといろいろできたのにね」 

中野「『首都消失』(1987)のときは、LDが2時間しか入らないから、2時間以内にしてくれとか。(監督の)舛田利雄さんと“何でおれたちがこんなことを”とか言いながら切ったね。それだけこだわったLDも、もうなくなったよ。ざまあみろ(笑)。

 いまはフィルムじゃなくてデジタルだけど、デジタルはソフトがひとつしかない。音も、高音しか出ない。音の微妙な強弱もだめだね。若い人には、デジタルでしかできないことをやってもらいたいね。デジタルならではってものができたら、フィルムのゴジラなんて見ちゃいられないことになるかもしれない。LDなんて捨てちゃえ(笑)。ぼくも、新しいゴジラまで生きていられるかどうか(笑)」

首都消失《デジタル・リマスター》 [DVD]

首都消失《デジタル・リマスター》 [DVD]

 

【その他の発言】

 今年12月には、『大空のサムライ』(1976)や『ゴジラvsビオランテ』(1989)、テレビ『超星艦隊セイザーX』(2005)などの川北紘一特技監督が逝去。中野監督とふたりで東宝の特撮作品を支えた、ベテラン演出家であった。

 

中野「(川北監督の死は)アナログ特撮の終わりを象徴しているのかな。ある時期が終わったな、という…。彼はほんとに特撮好き、ぼくと違って。特撮なら、演出でも美術でも(職種は)何でもいいみたいなところがあったね。コレクションはマニア以上だった。

 彼は戦争ものが大好き。カラオケへ行っても軍歌しか歌わない。特攻隊を羨ましがってた。『大空のサムライ』は、いちばん張り切ったんじゃないかな。酒飲んで話すのも飛行機の話だったね。

 紘一の紘は、八紘一宇の紘。昔は紘のつく名前が多かった」

 

 その他の話をランダムに紹介したい。

 

中野「(満州生まれで)終戦後の1年間は大陸をさまよってた。宝田明が最近言ってたけど、ロスケが、ぼくはこの言い方をしちゃうんだけど、お母さんを乱暴するのを見ていたと。ぼくも同じような体験をしてるんだ。そこへ向こうの憲兵みたいなのが来て、やっぱり世間体が悪いから、そういうやつをバーンと撃ち殺す(笑)。

 

 チェーホフの戯曲は、会話がずれている。その間を表現するのが難しい。三文役者じゃできないよね。

 

 (『日本沈没』などの脚本家の)橋本忍さんも電話魔で、撮影できるっていう裏付けがないと書かない。“これ、できるかね”って夜中でも電話がかかってくる。こっちは現場で疲れてるのに(笑)。友幸さんからも電話で“予算減らんか?”とか。助監督の時代はまだ電報で、“シキュウシュッシャサレタシ”と。あのころメールがあったらえらいことになってたね(笑)。

 

 『首都消失』で、(原作の)小松左京さんに(雲が首都を襲う)クライマックスはどうしますって訊いても、わからないって(笑)」

 

 中野監督のロングインタビュー本『特技監督 中野昭慶』(ワイズ文庫)が今年文庫化され、発売中である。

 

【関連記事】中野昭慶特技監督 トークショー レポート・『地震列島』(1) 

特技監督 中野昭慶 (ワイズ出版映画文庫)

特技監督 中野昭慶 (ワイズ出版映画文庫)

 

にほんブログ村 映画ブログへ