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伊藤清美 × 萩生田宏治 トークショー(追悼・伊藤猛)レポート・『きらい・じゃないよ』

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 映画『妹』(1974)や『スローなブギにしてくれ』(1981)などの脚本、小説、劇作など多彩な分野に才能を発揮した内田栄一が、還暦にして初監督した映画が『きらい・じゃないよ』(1991)である。監督・脚本の内田は1994年に逝去。今年9月に、主演の伊藤猛も世を去った。

 

 透明なガラスでできた拳銃を持つ、主人公のテロリスト(伊藤猛)。彼の部屋に“七月”と名乗る若い女(美香)が住みついた。ふたりの前に現れる、コカコーラの少女(伊藤清美)。やがて去っていこうとする七月に、主人公は「きらいじゃないよ」と告げた。

 

 この伝説的な8mmの自主映画は、さまざまな本や雑誌で語られている。脇役では田口トモロヲや映画監督の園子温も出演。

 この度、伊藤猛の追悼上映の1本として、10年ぶりにスクリーンにかかった(以前は、2004年の内田監督の追悼上映)。筆者は初めて見てみて、説話的なストーリーもなく正直よくわからなかったのだが、映像を撮る原初的な“歓び”と“悲哀”のようなものが画面より感じられた。まだ二十数年しか経っていないのに、1970年代かと見紛うほど不鮮明な8mmのモノクロ画面と時おり挿入されるカラーの映像…。 

 上映後にコカコーラの少女役の伊藤清美氏と、助監督だった萩生田宏治氏のトークが行われた。

 伊藤清美(以下、清美)氏は『痴漢電車 お尻自慢』(1989)などピンク映画に出演後、『きらい・じゃないよ』や姉妹編的な『きらい・じゃないよ2』(1992)など自主映画・一般映画に進出。『急にたどりついてしまう』(1995)、『青二才』(2013)など、伊藤猛氏とは多数共演した。清美氏については、切通理作『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)に収録された論考(「処女膜の内がわ ピンク女優・伊藤清美論」)に詳しい。 

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  萩生田宏治氏は大学在学中に『きらい・じゃないよ』などで助監督を務め、『君が元気でやっていてくれると嬉しい』(1995)にて監督デビュー。『神童』(2006)、『コドモのコドモ』(2008)、『南風』(2014)などを撮った。伊藤猛氏とは助監督時代から親しく、兄貴のような存在で「理性的な人」だと伊藤氏の生前にコメントしている(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りなので、実際の発言と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

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清美「(見るのは)内田さんの十周忌を阿佐ヶ谷でやったとき以来で、10年ぶり。上映後のトークに伊藤くんがいないのは、奇妙な感じです」

萩生田「8mmで劣化しているのが、いい感じですね」

清美「前に見たときも面白いと思ったけど、私がすごく歳をとって、ものの見方が変わったのかもしれない。見直して面白いなって」

萩生田「22、3歳のころで、やってるときは意味が全く判らなかったけど、いまはそういう意味なんだなって」

清美「ワンシーンワンシーンが主題につながってはいない。でもこれで映画になるんだなって思う」

 

【企画の発端】

 伊藤猛氏は、内田栄一氏が主宰した演劇集団に入団して、キャリアをスタートさせた。言わば内田氏は師匠である。その後、ピンク映画を中心に独立系映画に多数出演。

 

清美「伊藤くんに誘われたんです。“内田さんが8mmで映画を撮るって言ってるんだけど、清美ちゃん、やるよね”って。伊藤くんが製作だから、伊藤くんが内田さんに映画をつくったほうがいいって話をしていたような…。あまり覚えていません。

 伊藤くんがデビューしたのが1980年。現場で会うのは初めてでした。内田さんは前から知っていたので」

萩生田「ぼくも伊藤さんに誘われました。ピンク映画の助監督をやったとき、伊藤さんが現場にいらっしゃって、内田さんが映画撮るからやるぞって。高田馬場の内田さんの事務所に呼ばれました」

 

【『きらい・じゃないよ』の想い出】

萩生田「22、3のころで、がむしゃらにやったから覚えていないというか。伊藤さんと、金子正次さんの『竜二』が好きって話をしていて、それで誘ってくれたのかな。

 編集のとき、伊藤さんは“おれのところは切るな”って(笑)。内田さんは、“伊藤は主演しかできないからな”ってよく言っていました。

 伊藤さんが映画に出ていると、お兄さんが出ているみたいな、はずかしい感じがある。改めて『きらい・じゃないよ』を見ると、いろいろと細かいお芝居をしていますね。カメラとか、いろいろなことが判った上で、お芝居をしている」

清美「それでいながら画面に収まっているからすごいなって。私の浮き方に比べると(笑)。私は浮いた役で、内田さんもそういう意味で配役したわけですけど。

 後半、(海辺で)私が1999、2000、2001と数えながらガラスを置いていくシーンでは、2003が最後ですね…」(註:内田氏の追悼上映は2004年だった)

萩生田「あのシーン、現場では海に落っこちないかなと思って心配(笑)」

 

 翌1992年に、『きらい・じゃないよ2』も制作され、猛・清美両氏も引きつづき出演している。

 

萩生田「『きらいじゃないよ2』は、(内田脚本の未完成映画)『熊楠 KUMAGUSU』をやってるころで、お手伝いに行きました」

清美「出てくるモチーフ、線路とか、内田さんの考えの中にあるものの具体として、物ものは1作目と同じのが出てきます」

 

【伊藤猛氏について】

清美「こないだ、お葬式のときの食事会で、編集の高橋玄さんが“たけちゃんは、若い役者や助監督に優しくて、怒ったりすることもあるけど、気にかけていて、自分の知っていることは伝えたいんだ”って。だからお葬式にもたくさんの人が来てるよなって」

萩生田「伊藤さんとは、5、6歳しか違わないんですよ」

清美「当時はすごく違う気がしたけど。萩生田くんも、伊藤くんが気にかけるひとりだったのかな」

萩生田「伊藤さんはお兄さん的な存在で、相談にのってくれたり」

清美「お兄さん的な感じもあったけど、ときには年下っぽい感じもありました」

 

 先述の通り、清美氏と猛氏は共演が多い。

 

萩生田「共演は、数で計れるものではないかな」

清美「数で計れるものだと思うけど(笑)。以前は(共演が)多かったけど、やがて私があまり仕事をしなくなってきて。

 舞台『ゴキブリの作りかた2010』(2010)のとき、“当然やるでしょ”って言われました」

萩生田「内田さんの台本をいまおかしんじさんが書き直したんですよね」

清美「伊藤くんが演出・出演でした。

 内田さんも伊藤くんも、いつも誰かがいなくなっていく。『きらい・じゃないよ』を見ちゃうと、現実を改めて思うというか…」

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きらい・じゃないよ―百年まちのビートニクス

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