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私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山田太一 トークショー “豊かに生きることの処方箋” レポート

 10月に、脚本家の山田太一先生と写真家の鬼海弘雄さんのトークショーが行われた。

 鬼海弘雄さんは、インドなどでも撮られているそうだが、浅草で見つけたさまざまな人物を、壁をバックに40年に渡って撮っている連作がある。そのシリーズが、今年『世間のひと』(ちくま文庫)として1冊にまとまった。400枚以上の写真が収録された『世間のひと』は、ひとりひとりにキャプションも付いていて、それもちょっと面白い。浅草出身の山田太一先生は、鬼海氏の仕事に注目しておられたそうで、『世間のひと』にも推薦文を寄せている。

 今回のトークでは、筆者の能力の限界により、レポートは山田先生の発言に絞らせていただきます(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りなので、実際の発言と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

世間のひと (ちくま文庫)

世間のひと (ちくま文庫)

 

 鬼海さんの浅草シリーズ、ぼくはわりあい初期から素敵だと思ってますけど。写真は誰でも撮れるから、(素人の)偶然の傑作はたくさんある。それでフォトグラファーとして個を確立するときに、最初はお祭りも撮ってらしたけど、だんだん壁の前にひとりの人に立ってもらってというのに限定していく。それまでに葛藤があったと思いますけど。

 あれを見ても浅草か判らない。ご本を見ると、ひとりひとりにコメントがあって、「ただの主婦だというひと」と書いてあるけど、すごく癖があって主婦に見えない。そんな言葉がよく考えられていておもしろい。

 (被写体は)浅草に住んでいる人じゃなくて、(よそから)来た人ですね。すぐ壁の前につれていくわけにもいかないし、壁がバックかよって言う人もいるだろうし。鬼海さんが言われたように、“現在と未来だけじゃない”人をさがして撮られている。『世間のひと』という本ですが、文庫本だと小さいですからごらんになる方は拡大鏡でね(一同笑)。

 

 ぼくの父が毎日観音さまへ行って拝んでいた。でも六区はすごく寂れましたですね。いま歩いていると、おにぎりを持って地べたにすわっているおじいさんやおばあさんに、そこどけっていう雰囲気がない。寝転がっても違和感がなくて、そんな盛り場はないですよ。どっかで他の街と似たくないというか、自分を滅ぼしているという街の意思を感じますね。

 こうすれば六区は栄えるっていうのも言われるけど、“いまの日本で成功している人”じゃない人生ってのもある。成功って個人の人生にはいいことだけどマイナスもある。俳優さんも有名になるとそこらでデートとかもできなくて、世間が狭くなって、スタジオで知り合った(芸能)人と結婚して、夫婦両方が有名になりたい我が強い同士だからうまくいかないとか(笑)。

 東京の街が変わっても、浅草は栄えないでほしい。六区で服を見ても、ここじゃ買わねえな、とか(一同笑)。映画やテレビの小道具を売っているような繁盛していなさそうな店がずっとつづいていたり。

 浅草には映画館がたくさんあったんですけど、(2012年に)最後の映画館が閉まって、ぼくも行ったんですが、いまの工事はプラスチックで囲ってあって中が見えないんですね。ぼくはしょっちゅう行ってたわけではないんで、惜しむ資格もないけど。

 

 気晴らしをみなが求めてると、(テレビの作り手は)思っちゃう。でもすべての人が同じ領域で愉しめるっていうのは浅いですね。

 1月に亡くなられた吉野弘さん、今年は(演出家の)大山勝美さんや深町幸男さん、ぼくの周りの人が亡くなられてしまったんですが、その吉野さんの詩があります。

「日々を慰安が吹き荒れる

 慰安がさみしい心の人に吹く

 さみしい心の人が枯れる」(註:慰安はテレビの意)

 テレビをつけていると、孤独や悩みが一時的に紛らわせちゃう。

 吉野さんの詩じゃないですけど、ある足の不自由な人が亡くなられて、“朝も昼も友だちになってくれて、ありがとう、テレビさん”って書き残されていたと…。

 

 いまはプラスが評価される。何が体にいいとか。テレビの『ためしてガッテン』はぼくも好きで、まあ見てもすぐ忘れちゃいますけど(一同笑)。

 芭蕉の句に「憂きわれを さびしがらせよ 閑古鳥」というのがある。自分が憂鬱なので、もっと悲しませてくれと言っています。

 石川さゆりさんの「津軽海峡 冬景色」は、これでもかってばかりに悲しいですね。昔、松竹の助監督だったころ、(「津軽海峡 冬景色」の舞台の)青森で広間の場所取りをしなければならなくて。すごく元気なおばさんたちと争って、取ったぞ!って。でもそれじゃ歌にならない(一同笑)。

 ぼくらには、マイナスを愛する気持ちがあると思うんですよ。外国の軍歌は勇ましいですけど、日本の軍歌は、正確な表現じゃないですけど雪の行軍、ここいずこぞ、とか。周りは敵で、マイナスばかりなんですね。戦争をやっているのに、あんなに悲しい歌を禁止しない。

 マイナスを愛するっていい器量だと思うんですね。

 

 (最新エッセイ『月日の残像』〈新潮社〉について)70歳になったころ、季刊誌の「考える人」が創刊することになって、長さもテーマも任せるから連載を書かないかって話をいただいて。エッセイは何冊か出してますけど、連載エッセイは初めてで、でも季刊だからできるかなって。それで9年やって、少しくたびれてきまして。そろそろ本にしますかって言ってくださって、そこで(連載は)取りやめにしました。季刊ですから、毎週毎月書くのとは違う入れ込みはありましたね。

 ぼくは、フィクションは書いてましたけど、自伝的なことは書いてこなかった。自分を書くって何だか図々しい感じがして、新聞の短いコラムで自分の歩みを書かないかっていうのもいままで断ってきました。(『月日の残像』では)本や旅行とか、自分中心でなければ失礼じゃないかなって思ったんですね。よろしければ、お読みいただければ…。

 

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