私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

園子温 講演会 “地獄でなぜ悪い けもの道の歩き方” レポート・『けもの道を笑って歩け』(2)

【最新作『地獄でなぜ悪い』】

 『地獄でなぜ悪い』(2013)で長谷川博己くん演じる、夢を追う男。ぼくの分身ですね。

 それとぼくは女性で大変な目にあったことが多い。ある女性とつきあって2年後くらいに電話がかかってきて、

「したでしょ」

「したけど」

「すぐ来い。来ないと黒い車が何台も来るぞ」

 行ってファミレスで会ったら、

「私は組長の娘です。レイプされたことになったんです」

って言われてお前ハメたな、いやこっちがハメたのか(一同笑)。

 ファミレスの外には黒い車がずらっと並んで(鍵でなくて)暗証番号で入るビルに連れて行かれて、これじゃもう逃げられない。

「やったのか!?」

と言われて一瞬考えて、

「やりました」

と言ったら彼女が目を伏せた。組長はレイプでないと気づいて、

「いい人じゃないか、送ってやれ」

と帰してくれた(一同笑)。

 そういう経験をもとにして『地獄でなぜ悪い』をつくりましたね。  

【デビューのころ】

 学生のとき、バンドを組んでデビューしたかったんです。6時間授業がつまらなくて、詩を書いてた。最初は「ぼくは君を愛してる リフレイン3回」とか書いて(一同笑)。そのうち「現代詩手帖」に応募して入選したりしました。でもいまの詩人には有名な人もいないし、そこには混じりたくなかったんです。

 自分は言葉の人という思いがあって映画監督に居心地の悪いときがありますね。自分はデスクワーク向きというか、映画に向いてないという気がする。

 当時はパソコンがないから、ノートに自分で書きました。殴り書きで怒ってるときは筆圧がすごい。気持ちが優しいときは丁寧に書いて、でも活字になると同じ明朝体になってしまう。これって厭だなと。

 街角の伝言掲示板に自分の詩を書いて写真を撮ってたんですが、すると通行人の動きが面白くて8mmで撮りたくなる。それで自分が詩を喋ってるところを8mmで撮ったんです。多摩美術大学ほしのあきら先生のところへ持って行ったら、面白いと言われて、ぴあフィルムフェスティバルで入選しました。『俺は園子温だ!』(1985)っていう作品で、自分にカメラを向けて撮るのは、自主映画では珍しくて斬新だったみたいです。(ぴあフィルムフェスティバルで審査をしていた)大島渚さんに「25にもなって映画やろうか迷ってるなんて、そんなやつはろくなもんにならんぞ」って言われちゃって。それで『自転車吐息』(1990)を撮るんですが、そのころは映画にも飽きてしまって…。

 

【東京ガガガの時代】

 あるとき、歩行者天国を歩行者地獄にしてしまおうって(一同笑)パフォーマンス集団の “東京ガガガ” を始めました。1993年に始めた当初は10人くらいで巨大な横断幕を張って、やがて2000人になった。

 ハチ公増殖計画っていうのがあって、夜中に渋谷のハチ公を型取りして、触っても判らないくらい正確なハチ公をつくってちょっと離して設置。待ち合わせの人が迷うのを見て愉しむっていう(一同笑)。

 野外演劇として、交差点で突然家族が(こたつに座って)煮物をつつき始めるとか(笑)。

 無意味・無目的・無宗教なので(警察に)デモ申請をしても「思想がない」と許可が下りませんでした(一同笑)。そのうち、渋谷警察署の人ともカラオケ行くくらい仲良くなった(笑)。

 最大で2000人くらいいたんで、これで映画がつくれるって思って『BAD FILM』(1995)をつくりました。いまのヘイトスピーチみたいな、未来のネオ東京で中国人と日本人が争ってるっていう設定です。ガガガの中に中国人がいるからできたんですね。満員電車の(中で揉める)シーンも(出ているのは)みんなガガガの人間です。新宿アルタ前で怒鳴り合うシーンをゲリラ撮影したり。一水会鈴木邦男さんから街宣車を借りて「犬も歩けば棒に当たる」「親を大切にしろ」とか意味もない言葉を掲げて撮った(一同笑)。右翼の人にも評判よかった(笑)。いま思うと危険な映画ですね。ぼくはまだ完成したとは思ってなくて、また編集して来年あたり『BAD FILM』を完成させたい。

 いまも税務署やホールの支配人、おまわりさんにも元ガガガの人がいますね。やがて革命が起こせるかな(笑)。

 

【自主映画と『自殺サークル』 (1)】

 『BAD FILM』で映画に復帰するけど、お金はないので自主映画しかできない。そこで例のハチ公を使って『うつしみ』(1999)をつくりました。

 あのころはテレビの『電波少年』がブームでAVも面白くて、どうしたら映画がこれらと対等になれるかって模索してた。『うつしみ』では(主人公の)女子高生が片想いの相手のところへ、ハチ公を運んでいく。その周りにサクラは10人くらいいたけど、やがて他の通行人も、「おれの待ち合わせ場所を持っていくな」って言ってくれたり(笑)。「私だって男と待ち合わせしたい!」って(主人公が)叫んだら、みんな役者じゃないのにシーンとなって(笑)。

 このへんで自主映画をやってても埒があかないと。サンフランシスコへ行って、乞食をしてました。チャイナタウンで寝ていたら、ばりっとした白人が100ドル札をぼくに向かってばらまいた。やがて白人は出しすぎたと後悔したみたいで、戻ってきて拾ってた(一同笑)。自分も拾えばよかったと思ったけど、あのとき拾っていなかったプライドを支えにして20世紀の終わりを生きました。

 そして商業映画デビューしたら、人に嫌われて観客が怒るような映画にしようって思いました。怨念ですね。(つづく