私の中の見えない炎

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円谷英二と真珠湾・『ハワイ・マレー沖海戦』『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』

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 69回目の終戦の日に『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』(1960)を久々に見直してみた。この作品は、東宝の “815シリーズ” という太平洋戦争を主題にした連作のひとつで、特撮は円谷英二特技監督が手がけており、改めてその素晴らしさに感嘆した。

 この夏はアメリカ版の『GODZILLA ゴジラ』(2014)が公開されたおかげでちょっとしたゴジラブームで、渋谷や池袋などでゴジラ展が行われ、CSでは過去の作品が繰りかえし放送されている。円谷英二ゴジラシリーズの第1作『ゴジラ』(1954)から第7作『ゴジラ エビラ モスラ南海の大決闘』(1966)までの特技監督を担当。他に『空の大怪獣ラドン』(1956)、『地球防衛軍』(1957)、『モスラ』(1961)など怪獣・ファンタジー映画の特撮を一手に引き受けていた。 

 その円谷英二は、他に時代劇『大阪城物語』(1961)、植木等主演のコメディ『大冒険(1967)など一般向け映画の特撮のつくり手でもあり、戦争映画も多数撮っている。

 特に出世作となったのが山本嘉次郎監督『ハワイ・マレー沖海戦』(1942)の特撮だった。乏しい資料を頼りに真珠湾の大オープンセットを建造したこの作品は、攻撃1周年を祝して1942年12月に公開されヒット(いまも容易に見られる)。 

 メカに詳しい円谷は、『ハワイ・マレー』の直前に特撮を手がけた『南海の花束』(1942)でも脚本家の航空知識の不足を指摘するなど飛行機に造詣が深く(『円谷英二の映像世界』〈実業之日本社〉)『ハワイ・マレー』の飛行機描写はまさに水を得た魚のような仕事であった。ただこの作品は、真珠湾攻撃の円谷特撮には感心するのだが、そこに至るまでは予科練の生活がぐだぐだと一本調子で描かれて見ていてつらい。監督の山本嘉次郎は巨匠・黒澤明を育てた人物であり、黒澤の『蝦蟇の油 自伝のようなもの』(岩波現代文庫)を読むと師匠の山本にまつわる想い出が好ましく回想されているけれども、監督としてはやや苦しいと言わざるを得ない。

 山本 × 円谷コンビは『雷撃隊出動』(1944)などを発表し、1945年の終戦の日も新作『アメリカようそろ』を撮影中だった(敗戦により制作中止)。  

 敗戦後、公職追放によるブランクを経て復帰した円谷英二は『ゴジラ』の特撮を担当し大ヒットさせる。アメリカの『キング・コング』(1933)に感銘を受け、フィルムを取り寄せて研究していたという円谷は、飛行機のみならずモンスターの演出にもセンスを見せた。

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 後期の円谷特技監督による戦争映画の代表作は、松林宗恵監督の『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』であろう。『ハワイ・マレー』のように真珠湾の広大なセットが組まれた本作は(円谷にとってはセルフリメイクでもある)俳優の芝居用には戦艦の大オープンセットが建てられ、夏木陽介鶴田浩二池部良など豪華キャストが投入された破格の大作である。飛翔する飛行機群の爽快さ、真珠湾の爆発シーンの美しさなど円谷特撮の素晴らしさは目を見張るものがあった。ミニチェアの飛行機が飛ぶと真下の木々がタイミング良く揺れる場面など『ハワイ・マレー』でも同様の場面があったが、こちらのほうがさりげなく自然で舌を巻く。

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 『ハワイ・マレー』は緩慢な日常生活の後、クライマックスで唐突に特撮シーンが展開される。一方で『太平洋の嵐』では冒頭から特撮シーンが小出しにされて構成も巧みであり、この点は橋本忍脚本や松林監督の力量を感じさせた。勇ましいトーンで始まって一定の娯楽性を確保しつつも、戦争の悲哀・虚無を確実に伝えている。ミッドウェイでの大敗北を経て海底で亡霊となった三船敏郎田崎潤が語らう短いシーンは、忘れ難い印象を残した。松林宗恵作品では『太平洋の翼』(1963)や『連合艦隊』(1981)も悪くないけれども、完成度はやはり『太平洋の嵐』に一歩譲る感がある。

 

これからもみんな、勇ましく死んで、こういう墓場が太平洋に増えるんでしょうな」(『ハワイミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』)