私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

宝田明 × 星由里子 トークショー レポート・『ゴジラ』『モスラ対ゴジラ』(1)

f:id:darakarumena:20140814145812j:plain

 ゴジラシリーズ第1作の『ゴジラ』(1954)が公開されて、今年で60年。ゴジラは還暦である。アメリカ版の『GODZILLA ゴジラ』(2014)も公開中で、この夏はちょっとしたゴジラブームの様相を呈している。

 このタイミングで池袋にて“大ゴジラ特撮展”も開催され、8月上旬に宝田明×星由里子のトークショー&サイン会も行われた。

 宝田明さんは、1作目の『ゴジラ』に主演。当時20歳だった。ゴジラ映画は、日本国内だけで2004年までに28本がつくられており、宝田さんは『モスラゴジラ』(1964)、『怪獣大戦争』(1965)など6本に登場する。

 他にも東宝の専属として多数の作品に出演。1990年代には『あげまん』(1990)、『ミンボーの女』(1992)など伊丹十三監督の作品でも好演した。最近はテレビ『カーネーション』(2011)に出演され、この8月にもミュージカル『葉っぱのフレディ』(2014)に主演。

 

 星由里子さんは、『モスラゴジラ』にて宝田さんと共演。この同年に『三大怪獣地球最大の決戦』(1964)に出演し、その後ブランクを経て『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』(2000)にて36年ぶりにゴジラ映画に復帰した。

 『大学の若大将』(1961)に始まる若大将シリーズのヒロイン役としても知られ、近年もテレビ『相棒』(2007)での自身を思わせるベテラン女優役、大河ドラマ篤姫』(2008)など精力的に活動されている。

 

 今回の“大ゴジラ特撮展”は、『ゴジラvsビオランテ』(1989)などの特技監督を務めた川北紘一氏の会社の主催であり、川北氏がまず“前座”の挨拶に登場。

 

川北「ぼくが東宝に入ったのは昭和37年で、『モスラゴジラ』では撮影助手でした。宝田さん、星さんが主演で、思い出深いですね。

 (アメリカ版の『GODZILLA ゴジラ』は)とてもよかったけど、ただ(ゴジラが)1時間出て来なかったでしょ(一同笑)。もうちょっと早くね…。ぼくのときは、東宝から、スクリーンの前で子どもを走らせるなって要望があって、10分に1回はゴジラを出せと」

 

 川北監督は、トーク終了後のサイン会の待ち時間のつなぎに観客からの質問に答えていたが、こちらの時間がなくてあまり聴けなかった。

 

宝田「きょうは、私も星さんも裸になったつもりで、すべてを投げ出して告白させていただきましょう(一同笑)」

「私は何かにつけて加山(加山雄三)さんとの若大将シリーズのことを昨今言われますけど、きょうは50年前に出たゴジラのイベントで、新鮮に感じていますね」

 

 第1作『ゴジラ』は、いま見直しても凄みを感じさせる名作である。

 水爆実験で甦ったゴジラが東京を襲撃。ゴジラ討伐を主張する主人公の青年社長(宝田明)とその恋人(河内桃子)、恋人の父でゴジラを捕獲したい古生物学者(志村喬)、そして謎の水中酸素破壊剤を開発した科学者(平田昭彦)、それぞれの思惑が交錯する。

 改めて見直すと人間ドラマの完成度の高さに驚かされ、また志村喬の自宅や平田昭彦の研究所など映像・セットの素晴らしさにも瞠目させられる。明らかに戦争のトラウマが投影された厳粛な映画だが、爆発的な大ヒットを記録する。

 

宝田「昭和28年に東宝の第6期ニューフェイスとして、岡田真澄河内桃子佐原健二藤木悠らと入りました。演技研究所で1年間、ハードなカリキュラムをこなしましたよ。1作目は『かくて自由の鐘は鳴る』(1954)で、俳優座仲代達矢がしぼられてNG出してて、こっちは上から目線で(一同笑)。第2作が『水着の花嫁』(1954)っていう寿美花代さんの主演で、第3作が『ゴジラ』。ホップステップジャンプですな。

 当時、(撮影所の)所長室に呼ばれて、“お前、主役をやらせてやる”と。夢にまで見た主役、それなら出演料もよくて、銀座のお店の借金も返せるかな(一同笑)。 “6期生の宝田で、主役をやらせていただきます”って言ったら、照明のうるさいおやじに“主役はゴジラだ!”と言われて、ぎゃふんとなりました(一同笑)」

 

 本多猪四郎監督は、『ゴジラ』の他にも多数の特撮映画を撮り、『ガス人間第一号』(1961)なども佳作である。宝田さんとは、『モスラゴジラ』、『キングコングの逆襲』(1967)などでも組んでいる。

 “特撮の神様”とも称される円谷英二特技監督は、『ゴジラ』以前は戦争映画の特撮で知られており、この後は怪獣映画も多数撮った。

 

宝田本多猪四郎先生にも初めてお会いしました。

 円谷英二さんは『ハワイ・マレー沖海戦』(1942)の人で、あの映画はぼくが満州で見たときスタンディングオベーションでしたね。そんな匠中の匠。

 平田昭彦東宝の5期生で、悪いことはぼくらが全部教えた(一同笑)。

 志村喬さんはちょっと近寄り難かった。優しかったですけど。

 日本はatomic bonb、原爆で数十万人が亡くなって、その9年後に第五福竜丸。太陽が西に沈んだのに、その数時間後にまた太陽が昇ってきて、白い灰が降ったっていう。だから日本は、反核のメッセージを世界に発しなければいけない。ゴジラ、彼も被害者であると、彼に同情を寄せながら見てました。小さなダビングルームで見ていて、号泣しましたね。ただのモンスターでなかったから、961万人も動員できたのかな」(つづく)