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中野昭慶 トークショー レポート・『地震列島』(1)

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 阪神大震災東日本大震災の起こるずっと以前、地震の惨禍を描いたパニック映画『地震列島』(1980)。東宝は『日本沈没』(1973)の大ヒット以後、『ノストラダムスの大予言』(1974)や『東京湾炎上』(1975)などパニック要素のある特撮映画を発表しており、この『地震列島』もその流れに位置づけられる。

 主人公の地震学者(勝野洋)は東京地震の危険性を強硬に力説するが、全く賛同を得られない。家庭では婿養子で妻(松尾嘉代)と不仲、義母(村瀬幸子)も冷淡だった。主人公は同僚の若手学者(多岐川裕美)と不倫関係で、その彼女には幼なじみの男性(永島敏行)が求愛。主人公が妻との夫婦関係を清算する話し合いへ向かう際、東京を大地震が襲った!

 『日本沈没』は早い段階から沈没が始まるけれども『地震列島』は主人公の周囲の人間模様が長く描かれ、かなり焦らされる。また小林桂樹丹波哲郎藤岡弘、らが強烈だった前者に比して後者は勝野洋など渋めで通好みのキャスティングで固めており(出番の少ない草野大悟や滝田裕介もいい)両者はいろいろと対照的であった。全般にスケールの小ささは否めないけれども、マンション崩壊や水没した地下鉄に閉じ込められた主人公たちの件りなど、陰湿な恐怖感がある。

 10月に、川崎市にて『地震列島』のリバイバル上映と特技監督を務めた中野昭慶氏のトークショーが行われた。この日は、中野監督の誕生日記念でもあった(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りなので、実際の発言とは異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承下さい)。

中野田中友幸さん(プロデューサー)から『日本沈没』のパート2をやりたいと相談受けた。そこであれを上回るやつやろうって言ったら「金ねえんだよ」って(笑)。あの人は東京地震がやりたかった。そこで庶民生活のパニックものにしよう、スケールを絞り込もうと」

 脚本は、2012年に100歳で逝去した新藤兼人。膨大な脚本・監督作品を遺した超ベテランだが、長いキャリアにおいてこのようなパニック・特撮路線の仕事は他にほぼ絶無である。ちなみに監督は大森健次郎氏で、この人も映画『二十歳の原点』(1973)やテレビ『俺たちの旅』(1975)などを撮っており、この手のジャンルに配されるのは意外に思える。

 

中野「(趣向が違うから)いつもと違うライターがいいんじゃない?と。新藤さんなら独立プロの人だから、庶民(を描くの)にいいと。でももっと辛辣かと思ったけど、そうでもなかったね。メジャー作品だから遠慮したのかな」

 

 後半の主な舞台はマンションと地下鉄。

 

中野「東京でいちばん怖いのは建築基準法違反の建物と地下鉄かなって。最近病院でもあったけど、火より煙が怖い。

 高速道路の脇のマンションへ車が飛び込むっていうのは、意識してやってる。高速ってのは滑り台で車が滑っていって、近くの建物があぶない。高速の近くに車入ってください、お車どうぞみたいなマンションがあって、ロケハンしてて「あれだ!」と。許可なんてとってない」

 

 娘の多岐川裕美を食い物にしている松村達雄は、慌てたところで地割れに飲み込まれる。

 

中野松村達雄は地割れに落ちて死ぬ。地割れは一度広がったら、また戻ってきて閉まる。もっとゆっくり割れるようにやろうと言ってたのに、仕掛けの都合でね。(実際に)地割れに入ったら、とにかく表面に出ることだね。普段から落ちたときの出方の訓練をやらないと(一同笑)。

 ぼくはイメージが貧困だから、理論を固めないと発想できない。それにこういう映画は大ぼらだから、リサーチはしないと」(つづく

 

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