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私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

“哀しみ”の演出家・深町幸男

テレビ 山田太一 批評・感想

 演出家の深町幸男が逝去した。

 深町は長年NHKに在籍し、向田邦子脚本『あ・うん』二部作(1980、81)と早坂暁脚本『夢千代日記』三部作(1981〜84)により知られている。その二者ほどの知名度はないかもしれないが、脚本家の山田太一とのコンビ作も多数で、『夕暮れて』(1983)、『冬構え』(1985)、『友だち』(1987)、『旅立つ人と』(1999)など数々の秀作を送り出してきた。

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  深町幸男の作品でよく目にするのが、カットとカットをゆっくりとフェードアウトでつなぐ技法である。深町作品では、格闘シーンやコミカルな展開などにおいては矢継ぎ早に映像が繰り出されることもあるけれども、ここが重要という場面になると、人物のアップとロングとがゆっくりと切り替わる。そのゆるやかなリズムが映し出された人物の哀愁を際立たせて、しみじみとした情感を生むのであった。

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 山田太一脚本の作品では、『シャツの店』(1986)にて、妻(八千草薫)と息子(佐藤浩市)に出て行かれてひとり晩酌をするシャツ職人(鶴田浩二)。『秋の一族』(1994)で、間借り人(藤岡琢也)と談笑した後、夜更けに暗い居間でそっと立ち尽くす中年男(緒形拳)。淋しげな人を描くとき、ゆったりとしたテンポの深町演出の素晴らしさが際立つ。

 山田太一先生も昨年の講演では「情景をジワーッと撮る」と、深町の魅力について話していた。

 極めつけは山田脚本の『今朝の秋』(1987)のラストで、働き盛りの息子(杉浦直樹)を癌で喪った老人(笠智衆)が、別れた妻(杉村春子)を見送って、たたずむシーン。シナリオでは、

 

タキ(別れた妻)、タクシーに乗りこむ。

 タクシー、出て行く。すぐ見えなくなってしまう。

 鉱造(主人公)、気がついて、わずかな洗濯物が干してある方へ行き、とりこみはじめる。

 はらはらと枯葉が散っている」(山田太一『今朝の秋』〈新潮文庫〉)

 

と簡潔に書かれている。誰もいなくなった後で孤独感とも寂寥とも違う複雑な表情を浮かべる笠智衆。彼と紅葉とが映され、短いシーンなのだけれども、えも言われぬ感銘を受ける…。この『今朝の秋』は、深町がNHKを定年退職する前の最後の作品であり、それゆえ力も入ったであろう。

 本人は、若き日に「周りは黒澤明さんのファンが多かった」が、「僕は成瀬巳喜男さんが好きでした」と回想。「成瀬さんの、人間をオーバーじゃなくジーっと見つめている面白さに惹かれるんです」と述懐している(『キネマ旬報』2000年10月上旬号)。

 

 深町は、早稲田大学を卒業後、映画会社・新東宝にて助監督生活を送った。新東宝の倒産後は、NHKに入局。当時のドラマ部長で後にNHK会長も務めた川口幹夫の回想によると、NHKへ来た当時の深町は、「新東宝から来て、テレビドラマにも監督というものをしっかり根づかせる先兵のようなつもりだった」という (『GALAC』2000年7月号)。だが手がける作品は、一向にヒットしない。

 

彼は口を出し過ぎた。できあがった脚本に注文をつけるんだが、脚本家も頑固だからなかなか変えようとしない。その間に人が入ったりして、うまく作業が進まない。そこでピタリの作家と組ますことにした。それが早坂暁。早坂さんはたいへんな遅筆家。当日にならないとできないから、直すヒマもない(笑)」(『GALAC』2000年7月号)

 

 川口幹夫の采配により深町幸男と早坂暁が初めて組んだ『冬の桃』(1977)は好評で、深町は「テレビというのは監督一人のものではなく、複数で作るものだというのがわか」り、脚本の作家性を重んじるようになったという(同)。その後の早坂と深町は、『夢千代日記』(1981)を送り出すことになる。

 

 深町はやはり映像で語る人だけに、文章はあまり得意ではなかったような印象を受けるが、生前にフィルモグラフィーを振り返る分厚いインタビューなどが出てほしかった。シナリオを重んじていたゆえシナリオライターに隠れてしまい、その存在の貴重さが認知されていなかったのだろうか。

 

 しんしんとした哀しみを滲ませる渋い作風の深町だけれども、そのイメージとは異なり、存外激しい気性の持ち主であったことも先述のエピソードから窺い知れる。

 

 かつては映画界の出身者という自負の強かった深町だが、映画を撮ったのは『長崎ぶらぶら節』(2000)のみで、しかも69歳になっての映画初監督。勝手の判らなかったであろう東映太秦撮影所に、単身で乗り込んだ。脚本の市川森一との対談によると、「僕も気が強い方ですから、太秦のいろんな方に注文するところはしました」という(『キネマ旬報』2000年10月上旬号)。

 同じ記事では、新しい仕事に賭けるハングリーな気概を吐露している。

 

人は“『夢千代日記』や『あ・うん』の深町幸男”と言うんですね。それは大変嬉しい。皆さん僕の演出した作品を覚えててくれるんですから。でも、本当はそういうことではないんです。僕は常に、1本1本が自分の勝負だと思っているし、かっこいいことを言えば、昔の名前で人から言われたくない」(同)

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 晩年に交流の会った方は、Twitterにて「80過ぎなのに駅前の辛いラーメン屋が好きで、頭にバンダナ巻いたファンキーなお姿でよく近所で休んでました」(https://twitter.com/hafuriko/status/481086196576051200)と回想しておられる。作品からは、とても「ファンキー」という語が浮かんでこない…。

 

 『父の詫び状』(1988)や『踊子』(1993)、『かわうそ』(1996)など触れたい作品は数あれど、次の機会に譲りたい。享年83歳、合掌。

 

【関連記事】山田太一講演会 “テレビドラマと私” レポート(3)

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