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関本郁夫監督 トークショー レポート・『極道の妻たち 死んで貰います』(2)

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【『極道の妻たち 死んで貰います』(2)】

高田「『極妻』シリーズは女主役で、でも男も立てなきゃならないから、時間が長くなっちゃう。彼(関本監督)は(まとめるのが)うまい。ぼくは彼が大好きで、彼が(脚本家の)××さんとやったとき、何でぼくにやらせてくれないかと嫉妬したんです。

 脚本家は意固地で強情な人が多い。屈折してるというか。(手柄は)監督のものになったり、(出来が)悪いと脚本家のせいになったりね。ぼくが幸せなのは、関本みたいな舎弟がいるから」

【その他の発言】

 関本郁夫監督は、1990年代以降は『極道の妻たち』シリーズなどやくざ映画系統が多いけれども、初期はポルノ作品や青春ドラマなども手がけている。

 

関本「『札幌・横浜・名古屋・雄琴・博多 トルコ渡り鳥』(1975)では、汽車の中で酔っぱらって、じゃあ(車内で)セックスシーン撮ろうかと(一同笑)。(主演の)織部ゆう子って酒乱でね。それで放尿する。ぼくの映画は、おしっこのシーンが多い(一同笑)」

高田「あれ、京都の山陰線だね。あのシーン、外から見てたよ(一同笑)」

 

 関本監督と高田宏治先生のつき合いは長い。

 

関本「私が助監督だったころ、高田先生はすでに若手のエース(脚本家)。サード助監督を何年かやっていたんですが、そのときも先生はバリバリやっておられましたね。近くの食堂で飯食ってたから、お顔は知ってました。

 テレビ『影の軍団Ⅲ』(1982)のとき(最終話「さらば影の軍団」)、1か月旅館に泊まっても(脚本家の)小野竜之助さんが書けない。で、急遽(鉄腕脚本家と言われる)高田先生に頼んで、鉄腕アトムが登場ということになるんですね」

 

 関本監督は脚本家としても、多数の作品を執筆している。

 

関本「『鬼龍院花子の生涯』のドラマ版(1984)、私が東映を辞めたころで、トーハン企画というところから話があって、6回に膨らませて書かなきゃならない。

 京都しか知らない人間で、どうやって食べていこうかというときに呼ばれて、大きく視野を広げることができた。テレビ(の世界)では、私を脚本家だと思っている人もいたみたいですね」

 

 大林宣彦監督『姉妹坂』(1985)では、関本監督と高田先生が共同脚本を執筆。

 

関本「『姉妹坂』のときは、高田先輩が売れっ子で時間がない。それで(シナリオに)参加したんですが、私がいままで映画をやめようと思ったことが2回ありまして、1回は川内康範さんとの戦い(一同笑)、2回目はこのとき高田さんに…。

 でも日下部さん(東映日下部五朗プロデューサー)が、高田は大島渚にボロカスに言わてよく耐えてたって。そういう思いを1回2回しないと、人間強くならない。あの高田先輩もそういうことがあったんだなって思いました」

高田大島渚は、ぼくのホンを投げつけたんですよ。『姉妹坂』のことは覚えてないな(一同笑)」

 

高田「この映画(『極道の妻たち 死んで貰います』1999)見ると、スタッフも役者も大半が生きてる人で。(今回上映されている)他の映画は死んだ人が多くて、(自分は)生きてて申しわけない(一同笑)。映画人はボコボコに言われて、やけ酒飲んだりして、みんな若死にしていった。関本もぼくも(元気なのは)、いろいろなことをすぐ忘れていったから」

 

 現在、関本監督は居住する長野県上田市のフリーペーパーに自伝エッセイを連載中。新作映画の構想もあるという。

 

関本「私は物書きじゃないけど、自分の経験したことが若い人に伝えられればいいと思って。まだ東映を辞めるところまでいってないんで、もうちょっと書いて出版したいですね。

 新作映画に関しては、喋ると(企画は)消えてなくなるんで(一同笑)。いまの映画は、テレビ局と組まなきゃいけない。それで難しいんですが、やはり世に出すことを最優先にしなきゃいけないかなとも思ってます」

 

 関本監督も高田先生も、最近は新作から遠ざかってはいるが、いまもお元気でエネルギーを感じさせる話しぶりであった。一層のご活躍に期待したい。 

 

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