私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

向田邦子終戦特別企画(演出:久世光彦)全作品レビュー (2)

 3.『蛍の宿』(1997)脚本:山元清多

 海辺の町・風の浦で遊郭を営む母(岸惠子)とその娘(清水美砂田畑智子 )。あるとき、航空隊の士官(椎名桔平山本太郎ら)が店に現れた。特攻隊として死を目前にする男たちと女たちの束の間の交流が生まれる。

 前年の『言うなかれ、君よ別れを』(1996)と新春シリーズの『空の羊』(1997)が酷似した内容になってしまったゆえか、この第3作はかなり異なるトーンに。舞台が池上でなく航空基地のある町の遊郭で、いつものセットは飾りつけが大幅に変えられた。海辺など屋外のシーンが多いのは、室内のセット撮影を好む久世光彦作品としてはかなりレアだと言える。

 前2作で落ち着いた奥さん役だった岸惠子は奔放な女将。娼婦役の荻野目慶子の野外性交シーンもあり乳房まで映っている。荻野目は『いつかギラギラする日』(1992)で脱いでいるが、この作品ではロングなのでヌードは別人だろうか。加藤義彦『「時間ですよ」を作った男 久世光彦のドラマ世界』(双葉社)によるとヌードは裏番組でヒットしていた『失楽園』(1997)を意識したものだという。

 三好達治「おんたまを故山に迎ふ」が朗読される終盤の海岸のシーンは荘厳で力作(であり珍作)なのは間違いないけれども、特攻隊礼賛のようにも思えて微妙な後味を遺す。

 

4.『昭和のいのち』(1998)脚本:山元清多

昭和のいのち [DVD]

昭和のいのち [DVD]

 女だけの一家(岸惠子戸田菜穂田畑智子)のもとへ、ひとり暮らしの長女(清水美砂)が空襲で負傷して帰ってくる。長女を抱えてきたのは見知らぬ男(小林薫)だった。

 前年の『蛍の宿』と新春シリーズの『終わりのない童話』(1998)という直近の作品はかなりディープな内容だったが、今回は一家のもとへ正体不明の小林薫が現れるというおなじみの路線に戻り、戦争賛美のような雰囲気は薄まった。ある一定の水準には達しているとは言え、岸惠子と小林が「ドナウ川のさざなみ」を唄うシーンやラストの展開など前々年の『言うなかれ、君よ別れを』の反復であり、凡作だと言わざるを得ない。

 

5.『あさき夢みし』(1999)脚本:山元清多 

 東京大空襲によって焼け出された母娘(岸惠子清水美砂田畑智子)は埼玉の料亭の厄介になることに。料亭に出入りする士官学校生たちは特攻隊員として出撃を待っていた。そこへ母が昔交際していた男(小林薫)が現れる。

 今回は前々年の『蛍の宿』の焼き直しのような内容。母と長女(清水)の確執、昔の男(小林)、特攻隊員との触れ合いなど、共通項があまりに多く、印象が薄い。ラストの宴会のシーンは『蛍の宿』の盛り上がりには及ばない感がある。

 映画『妖星ゴラス』(1962)やテレビ『仮面ライダー』(1971~1973)などで知られ、久世演出の『世にも奇妙な物語/海亀のスープ』(1991)にも登場した故・天本英世がさりげなく姿を見せ、作品に陰影を与えた。

 

番外『碧空のタンゴ』(2001)脚本:山元清多

 向田邦子終戦特別企画の終了から2年後の夏に、NHKスペシャルの枠で久世演出の終戦ドラマが放送された。

 原作は向田でなく井上ひさし(『東京セブンローズ』〈文春文庫〉)だけれども、久世演出 × 山元脚本 × 岸主演という顔ぶれは同じで、ナレーションも黒柳徹子が務め、当然向田終戦シリーズと似たような手触りの作品になった。岸惠子以外のキャストは入れ替わり宮沢りえ柄本明ともさかりえ角野卓造樹木希林加藤治子池部良など豪華でにぎやかな顔ぶれが揃ったが、描かれるエピソードは陳腐なものに終始してしまった。ただラストで長女夫婦が死ぬのは、向田シリーズの制約の中では描かれなかった展開ではある。

 

 向田邦子終戦特別企画の終了の理由はつまびらかではないが、向田邦子原案で戦時下のドラマというのは自由度が低く、長期的につづけるのは難しかったのかもしれない。新春シリーズは月日を経て見直すと感想が変わる作品もあったけれども、終戦シリーズは見直してみても(ソフト化されていない『碧空のタンゴ』を除いて再鑑賞)あまり印象は変わらなかった。誤解を恐れずに言えば、このシリーズは年月を経て解釈が変わるような多面性に乏しいということだろうか(第4、5作にして自己模倣の状態に陥っていたのが象徴的であろう)。それでもこれら諸作は戦時を知る世代の作り手による映像作品として、その偏執的なこだわりも含めていまなお見直されるべきものを孕んでいる。