私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

小山内美江子講演会 “地球市民としてともに生きる” レポート(1)

f:id:namerukarada:20140802233359j:plain

 1945年5月29日の横浜大空襲を振り返る「平和のための戦争展inよこはま」にて、横浜市出身の脚本家・小山内美江子氏の講演が行われた。

 小山内先生は、やはりテレビ『3年B組金八先生』シリーズ(1979〜2004)のライターとして知られるが、他に『ウルトラQ』(1966)や『帰ってきたウルトラマン』(1971)、大河ドラマ徳川家康』(1983)など多彩な作品を手がけた。残念ながら筆者は見る機会がないのだけれども、『父母の誤算』(1981)や『無邪気な関係』(1984)なども面白いという。『ウルトラQ』(最終話「あけてくれ」)では出征の回想シーンが出てきたり、『徳川家康』では家康が戦を忌避する平和主義者として描かれたり、やはり戦争の記憶が作品に影を落としている。

 1990年からは国際協力活動にも精力的に従事しておられ、NPO法人JHP・学校をつくる会”の代表も務めている。最近ではあまりシナリオ執筆はされていないようで、講演も著書などで語られているようなカンボジアでの話が中心となった。客層は年配の方が多かったが、横浜大空襲の朗読劇を行う横浜市立川和中学校演劇部や横浜商業高校の方々もいてにぎやかだった(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや、整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

ウルトラQ Vol.7 [DVD]

ウルトラQ Vol.7 [DVD]

 

  お暑うございます。(去年までの)この会はお年寄りばかりでした。戦争の話こそ、若い人にしなくてどうするって思うんですが。去年(の講演の後に)、中学生の方が朗読劇をやってくれて、それで親世代の方たちも少し増えて。今年は高校生の人も来て、ホールがこんなに埋まったのは初めてですね。だから暑くなる。暑くなって嬉しいんですよ。

 カンボジアは4月から5月がいちばん暑い。それからは雨季で、とても大変です。ですから会(学校をつくる会)は、5月には行っていないんですが、(最近)私ひとりで行ってきました。何しに行ったかというと…。

 

【国際ボランティアとカンボジア (1)】

 1990年、湾岸戦争があって、ここにいる中学生や高校生の人はまだ生まれてないでしょうけど、まだアメリカが元気なころで、いろいろな国がアメリカにすり寄って多国籍軍がつくられた。日本は自衛隊を出さずにお金を出した。日本はイラクの人に鉄砲を向ける必要はないし、お金を出すだけで何が悪いのよと思ったけど、日本は金だけで血も汗も流さないと悪口を言われた。あのとき、私は還暦でした。大河ドラマ(『翔ぶが如く』1990)が終わって、母を看取って、じゃあ自分も行ってみようと思ったんです。それでヨルダンへ(ボランティア活動に)行きました。

 それで私より若い(英語のできる)友達が、受験期の子どもがいるのに行くと。私の息子(映画監督・俳優の利重剛氏)も行くと。私は英語ができないです。かつて英語は敵性語だったから、やっちゃいけないと。(学生の)私は試験が減って喜んだんだけど、いまになって困ってる。当時、野球はストライクじゃなくて“よし”、ドレミファソラシドは“はにほへといろは”って言っていました(笑)。こんなことで日本は勝つのかなって思いましたけど。

 その後、日本も初めてPKOに足を踏み入れて、戦争でなくて平和維持活動をするということで、(海外へ)自衛隊さんが行ったんですね。

 

 1993年、カンボジアで活動していた(国際連合ボランティアの)中田厚仁さんが狙われて亡くなりました。誰が犯人か、みなも私もだいたい判っていますが、逮捕されていません。どこかでお金が動いたんですね。もう少しがんばらないと、あの国は民主主義の国にならない。だから、子どものうちから、そういう勉強をしないといけない。

 (NPO法人JHP・学校をつくる会”の活動で)カンボジアでは、学校をつくると喜んでくれますよ。でもそれだけじゃ日本のためにはならないから、だから(勉強のために)日本の大学生も連れていっています。結果、できた学校が310校。私がつくったわけじゃないけど(笑)。(つづく)