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山田太一 インタビュー(1993)・『春の一族』『丘の上の向日葵』(1)

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 いまから21年前の1993年、脚本家の山田太一先生は、連続テレビドラマの仕事からはほぼ退いていたが、この年の春には例外的にTBSの『丘の上の向日葵』(1993)とNHKの『春の一族』(1993)という2本の連続物が同時進行で放送された。

 前者は1988年に発表した山田先生の同名小説(新潮文庫)を自ら脚色したもので、突然現れた闖入者に動揺する男(小林薫)とその家族を描いている。小説はエンターテインメント的であったけれども、テレビ版では劇中にまど・みちおの詩を愛唱する人物(野村宏伸)が登場したり、超現実的な妄想シーンが幾度も挟み込まれたり、やや実験的なつくりになっていた。長きに渡って単発ドラマの枠だったTBS東芝日曜劇場が、連続ドラマ枠として再スタートする第1作でもあり、よくこんな変わった内容で挑んだものである。

 後者はNHK土曜ドラマ枠にて流れた全3回のシリーズで、この作品につづいて、『秋の一族』(1994)、『夏の一族』(1995)がほぼ同じスタッフで製作された。

 

 以下は、主に新作(『丘の上の向日葵』『春の一族』)について話したインタビューであり、その2作のシナリオとともに『ドラマ』19937月号に収録された。字数の関係上全部ではないが、引用してみたい。用字用語はできる範囲で統一した。

  

【『春の一族』】

 903本というのは、結構ボリュームのある仕事なわけです。ですから、どうしても大作ふうになってしまって、大袈裟なシーンが必要な気がしてしまう。民放なら文句なく、そういう要求があるでしょう。しかし、そうすると、テレビの良さがなくなってしまうような気がする。それで、903本だから大上段、大テーマということにならない片隅の話で、しかし観始めたらついつい最後まで観ちゃうっていうような、そういったものを書いてみようと思ったんです。

 内容はお読み下されば分かることなんですけど、他(た)と関わるということをテーマにしてる。これは解決のつく問題ではない。他人とはあまり深く付き合いたくないけど、一人でいると寂しいというふうに矛盾したものを持ってる人たちの話です。その中で揺れている人たち。そのアパートには、家族からはみだした人、家族を捨ててきた人が集まっていて、個を守ってるんだけど、でも個だけではやっていけなくて、血縁じゃない人たちが少しずつ気持を寄せあっていく。一方で嫌だと思いながら。

 そういうテーマと、緒形拳さんの演る50代の男、経済成長の時代を働いてきて効率とか能力だけで勝負して自己形成をしてしまった人間が、自分を変えたいと思っている。50過ぎで変わりたい。それは、今の日本のぶつかってる変わらなければいけない、変わりたい欲望とちょっと似てるんじゃないか。それが出てこないかなと。それから、猫八江戸家猫八さんや内海内海桂子さんみたいな、テレビに出にくくなってしまった年令の人たちの日常ね、ああいう方たちの芸といいますか人柄というんですか、それを楽しませて貰おうじゃないかと思ったんです

 

【『丘の上の向日葵』(1)

 (単発の枠だった東芝日曜劇場が連続ドラマに衣替えしての第一作であり、)それがプレッシャーでした。僕だって日曜劇場に書かせていただくことは、ある名誉と心得ていた時がありましたし、若手の方も数少ない登竜門として皆さん腕を振るわれた場所だったんで、単発じゃなくなることは個人的にも寂しいような気持もありました。それがなくなったあと、最初にやるのは、怨みを一身に背負うようで非常に気が重かったんですけど、金ドラ金曜ドラマを書くということでスケジュールをあけておいたところを、当ててくれないかと言われまして、石井ふく子さんが怒ってるだろうなと思いながら書かせていただくことになったんです(つづく)

 

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