私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

対談 藤子不二雄A × 石子順(1990)・『少年時代』(5)

 漫画も映画も自分の見たいものを作るのが僕の仕事の基本 

石子:そうすると、これは映画観客としては子どもから大人までが対象となるわけですね。

 

藤子:非常に欲ばった言い方ですけど、そう思っています。いま少年時代にある人、あるいは少女時代にある人はもちろんのこと、かつて少年少女時代を通過した人にも見ていただきたい。そうなれば老若男女すべての人ということになりますが(笑)、それだけのインパクトはあるんじゃないかという気がしています。

 試写の反応をみても、世代に関係なくいい反応が得られています。富山で先行試写をやったときに、四十歳くらいの奥さんがお婆ちゃんと中学一年の女の子と幼稚園児の男の子と一家中で見にきてくれました。そしたら六歳の男の子はいままで映画はアニメしか見てないのできっと退屈して騒ぐだろうと思ったら、夢中になって見て、終わったときは「武!」と叫んだというんです。中学一年の女の子はいままで映画を見せてもなんにも話さなかったのが、『少年時代』を見た夜はお父さんに映画の話をしたといいます。お婆さんはお婆さんで昔を思い出して泣いた。本人は四十歳の主婦なんですけど自分はもちろん、お婆さん、中一の女の子、六歳の男の子とそれじれに世代の違う人たちがみんな感激しているのを見て、すごい映画だなと思ったそうです。

石子:たしかにこの映画はそういうふうに幅広い観客層があると思うのですが、映画プロデューサーとしての藤子さんが映画を作るときに訴えたかったのはどんなことですか。

 

藤子:それはないんですよね。僕は漫画書いているときもそうなんですけど、基本的にメッセージで書いてるんじゃないんですね。僕が漫画書く動機というのは、要するに自分が見たいものを書くというのがいちばんなんです。読者のニーズを考えて、いまの読者をリサーチして、こういうものを見たがってるから書こうとすると、それは完全に頭で計算したものになりますから、そうすると自分のホットな思い入れがなくて、読者への訴求力が弱くなるんですよ。こんどの映画も、基本的に自分がこういう少年時代を描いたら面白いだろうな、そういう映画があれば見たいなという気持ちがまずあって、いつまでたってもそういう映画が出てこないから、じゃあ自分で作ろうじゃないかという気持ちなんで、メッセージとかなんとかはまったくないんです。結果としていろんなことが出てるかもしれませんけど、僕自身はひたすら自分が見たくなる面白い映画を作りたいと思っていたのです。それと、映画というのは最近、ハリウッドの映画なんかがそうですけど、莫大な制作費を駆けて、膨大な特撮を使って、とくに『スター・ウォーズ』いらい、そういう仕掛けの映画が多すぎるでしょ。映画というのはそうじゃなくて、本来はもうちょっとウェルメイドなハートに直結するものを描くのに、もっと優れたメディアだと思うのです。もっと極端に言うと、映画でいちばん感動するのは、やっぱり人と人の出会いと別れだと思うんですよ。単純な図式でいえば男と女の別れでもいいし、老人と子どもが別れるのでもいい。僕が昔からずっと見てきて、感動していまだに覚えている映画というと、かならずすばらしい出会いがあって、すばらしい別れがありますね。

 

石子:たとえば、何ですか。

 

藤子:第一に思い出すのは『第三の男』ですね。

 

石子:なるほど。

 

藤子:『第三の男』のラストは何十年たっても忘れられない。いまでもビデオで見たりするのですが、見るとパッと十代のころに簡単にタイムスリップできる。あれはたいへんな効能ですね。そういう意味で、この物語は人間の出会いと別れという基本的なテーマをシンプルなかたちで持っていますので、映画にしたいなと思ったのです。もちろん、僕はスリラーとかサスペンスとかホラーとかアクションとか、そういうのも大好きですし、そういうのも映画にとってたいへん強力なものだと思っています。だからそういう映画を否定するわけじゃありませんが、あまりにもそういうものばかりになっちゃって、映画館にいる二時間はもうめちゃくちゃ楽しいけど、映画館を出てくるとなんにも残っていないということが多いですよね。そんなのばかりじゃあ困るわけで、もっとあとあと記憶に残るような映画がほしいんですよね。

 

石子:同感ですね。

 

藤子:僕らは昔、映画館へ行ってそういう映画ばかり見たものですよ。それに、映画というのは見るのも楽しいけど、あとでみんなに見た映画についてしゃべりまくるのが、もうひとつの大きな楽しみなんですね。いまの映画はあまりしゃべることがない。どの仕掛けがすごかったとか(笑)、どんな群衆がすごかったとか、そんな話ばっかりでね、ほんとうにその映画について延々と語るだけの材料がなくなってる。それはとても淋しいですね。

 

石子:最近の日本映画の悪口を言っちゃわるいけど、全体に小粒になっていますし、心に訴えてくるものがないですものね。それが、この『少年時代』はものすごく重厚で、ほんとうに見終わっていろんな人と話したくなる映画でした。

 

藤子:そうなってくれれば、僕はいちばん満足なんですけどね。

 

石子:最後に本誌の読者にたいして、藤子さんのメッセージをお願いします。

 

藤子:いまも言ったことなんですが、ぜひ映画を見ていただいて、映画についてしゃべりあってもらいたいですね。友だちどうしでもいいし、親子でもいいし。僕はそれが映画というものをふくらませる大きな要素だと思うのです。しゃべることのない映画だったら、それこそビデオで間に合う。映画というのは映画館の暗闇の中で多くの人が連帯で見る。そして見た映画の話をおたがいにするところがいいんですよ。僕はもちろんビデオでも見ますけど、それは単なる再確認であってね、いきなりビデオで映画を見るのは絶対、間違いだと思いますし、映画の魅力をスポイルすることになっちゃいますよ。そういう意味で、まず映画館まで出掛けてくださって、僕らの映画を見てほしいですね。

 

石子:どうもありがとうございました。これを機会にまたプロデュースされるお積もりですか。

 

藤子:企画はいろいろあるんですけど、それはこの映画がヒットするかどうかにかかっています(笑)。

 

石子:そうでしょうね。ご成功を祈っています。

 

以上、『シネ・フロント』第165号(シネフロント社)より引用。