私の中の見えない炎

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山田太一 インタビュー(2002)・『彌太郎さんの話』(2)

Q:テレビドラマの脚本、舞台の脚本、そして小説を書かれるときに感じるそれぞれの違いや、意識して気をつけていることなどはありますか?

 

A:初めて小説を書いたときに感じたのは、ものすごく自由でひとりだということです。一字一句すべてに責任を持って書くわけですが、その代わり、ひとりで書くことの自由感ってすごかったですね。映画のシナリオを書いていたときは、上から与えられた枠があって、自分のものを書いたという気がしなかったのですが、テレビドラマの世界に来て、「テレビって自由だな」と思ったんです。小説はそれよりさらに自由なんですよ。連続ドラマを書いているときは、1回目の視聴率がどうで……などいろいろ気にすることがあったのですが、連載小説の場合は反響がほとんどなくて、誰からも何も言われないことの不安はたしかにありましたけど(笑)。それでも、やはり、自由に書けることの喜びのほうが大きかったですね。

 それで、書き分けの問題ですけれども、ぼくは受け手の状況をすごく想像するんですよ。テレビだと家かどこかで画面を見ていて、お芝居だとお客さんが暗闇に入っていて、で、小説はいろいろですが、結局は文章の勝負ですよね。それぞれ力点が非常に違うんです。そうすると、テレビでは出てこなかったものが演劇を書くときに出てきたり、小説で出てきたりする。マクルーハンの言葉に、「メディアはメッセージである」という名言がありまして、単純な言葉なのでいろいろな解釈ができますが、ぼくにとってはメディアによって引き出されるものが違うと実感しています。それが楽しく、また、苦しいんですけどね。

異人たちとの夏 (新潮文庫)

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Q:なぜ山田さんは数年に1冊しか小説を出されないのですか? 何かお考えがあるのでしょうか? 『彌太郎さんの話』を首を長くして待っていた私としては、せめて2年に1冊か1年半に1冊くらいは山田さんの作品を読みたいです。

 

A:こういうペースになってしまうのは、完全に多忙のためです。それに、小説をそんなにしょっちゅう出したら、読者の方々も買ったり読んだりするのが大変でしょう(笑)。テレビドラマを書いて、さらに芝居を書いていると、それだけであっという間に1年が過ぎてしまう。やはり、ぼくの軸足は基本的にテレビにありますので、これからも小説は2年に1冊か3年に1冊になると思います。ハードな視聴率競争のあるテレビの連続ドラマは、いろいろな人の要求を聞き入れて妥協しなければならなかったりと、60歳を過ぎてそんなことをしていると体にもよくないので、何年か前にやめることにしました。ところが、このところ芝居の仕事が増えてきて、今年に入ってから脚本を2本書いたんです。ちょっと書きすぎかな、とも思っています。結局、気が多いというか、いろいろなメディアが好きなんですね。でも、最後に残るのは小説かな、という気持ちもどこかにありますね。それはテレビに本当に集中したという長い時間を持つ人間には寂しいことでもありますけど。

 

Q:だいたい1日に原稿用紙何枚くらいのペースで書かれるのですか。また、どんな場所でも筆が進むほうですか?

 

A:筆はとても遅いほうです。『彌太郎さんの話』について申しますと、あれはだいたい1章50枚ずつくらいなのですが、それだけ仕上げるのに10日ぐらいはかかりましたね。で、どこでも書けるというわけではなくて、あの作品の半分くらいはホテルで書きました。10年近く使っている小さなシティホテルで、静かで誰とも会わない。ちょっといいところがありましてね。その前は、東銀座の小さなホテルでよく書いていたんですよ。窓の外には癌研の病棟しか見えないところなんですが、あまり見晴らしがいいと昼寝して終わってしまうので(笑)、こういう言い方は申し訳ないのですが、多少牢屋みたいな感じの部屋のほうがいいんです。40歳を過ぎたころ、雑用に中断中断で着想もいきいきせず、台詞もどうも冴えなく、「おれにはもう才能がないのかな」とかなり本気で思ったことがあったのですが、ホテルに入ってみたら、堰を切ったようにどんどん書けて、結局細かな中断にやられていたことに気がついたんです。それで味を占めてしまった。平均すると、月に10日ぐらいはホテルで仕事をしています。ただ、ちょっとした仕事だと、原稿料より宿泊費などの必要経費のほうが高くついてしまうこともありますね。 

 

Q:山田さんは、小説の題材をどんなところから拾っているのですか。あるひとつの作品を書こうと思ったきっかけになった出来事についてお話いただけますか?

 

A:例えば『彌太郎さんの話』の場合、これは非常に不思議な体験なのですが、最初に出てくるGHQでの話を夢で見たんですよ。それがすごく生々しく残って、これはふくらむぞ、と。少年時代に知っていた大人で戦争をはさんでずいぶんいなくなってしまった人がいるんです。そういう人たちの誰かが蘇って最後には幸福になる話を書きたいと思った。あのころの大人たちの思い出を合成して「彌太郎さん」というひとりの人物にすべて託した、というのが軸になっています。フィリピンの牢屋のシーンは、ラテンアメリカの小説にああいう非現実的なタッチのものがけっこうあって、以前からそういうものを書いてみたいと思っていたとかね。(つづく) 

以上、BOOKアサヒコムより引用。 

 

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弥太郎さんの話 (新潮文庫)

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