私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

やなせたかしと東君平・『くんぺい魔法ばなし』(2)

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 『くんぺい魔法ばなし』の連載について「くんぺいさんがいいだして、自分で勝手に連載を始めた」(『くんぺい魔法ばなし 山のホテル』〈サンリオ〉)、「断りきれない」(『東君平の世界』同)などとやなせたかしは述懐しているので、もしかすると当初は編集長としては不本意だったのかもしれない。だが、やなせは東君平の才能に魅せられていく。

 『魔法ばなし』や『東君平の世界』に収載されている解説を読むと、やなせたかし東君平にいかに惚れ込んでいたかが判る。

 

東くんぺいさんは天才である。それもこの世界には珍しい妖精タイプの天才で、詩人中原中也と同タイプである。

(…)ほとんどすべての面でアウトサイダーだったから、こんな枠に入らない人物はどんなに優れた仕事をしても受賞するチャンスはない。

 だからぼくは東くんぺいに “詩とメルヘン賞” を贈った。

 ほんとは文化勲章か、ノーベル文学賞がよかったのだが、とてももらえそうな気配はなかったから、“これでかんべん” である」(『東君平の世界』)

ぼくが君平さんを天才にちがいないと思ったのは、まず彼の詩を読んでドキンとした時、それから彼が無造作にありあわせの紙で切り絵をしているのを見た時、それから、もうひとつは、彼が自分で主演した16ミリ映画を見た時である。この不思議な映画は今どこにあるのだろう? ぜひもう一度見たいものだ。岡田奈々と共演したこの映画は奇妙に心の中に残像として焼きついている。

 君平さんの一回こっきりのリサイタルでこの映画は上映された。草の中にたつ君平さんはこの世の人とは思えなかった。

 ぼくは衝撃をうけた。妖精が仮に人間の姿をして、現世に姿を現わしたような気がした。

 それ以来ぼくは君平さんに対してはいくらか、はにかみがちになった。天才を認めて一目置くようになったのだ」(『くんぺい魔法ばなし 山のホテル』)

 

東君平は自分の人生そのもので『くんぺい魔法ばなし』を書いていたのだ。

 彼は人間ではなく、妖精の一種だったとぼくは今でも信じている」(『くんぺい魔法ばなし 小さなノート』〈サンリオ〉)

 

 すごい讃辞だけれども、その先入観を持って東君平の作品に触れるとそのさらりとした短さ・軽さに拍子抜けするかもしれない。しかしその飄々とした軽みが、東君平の身上でもある。 

 やなせたかしは、自身の代表作であるアンパンマンについても、東君平と同じく “妖精” と形容していた。子どものいないやなせは、アンパンマンが自身の子どものようなものであると書いているが、20歳以上年の離れた東君平もやなせにとってアンパンマンと同じく子どものような存在で “妖精” だったのかもしれない。

 東君平が世を去ってから27年になる今年、遂にやなせたかしも鬼籍に入った。少年の心を持った親子のようなふたりは、再会してどんな会話を交わしているのだろうか。