私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山田太一 インタビュー(1995)・『夜中に起きているのは』(3)

 書き手が早く反応してはいけないですね

 今度の地震を体験したわけではないし、地震そのものを書いているわけではありませんから、神戸のリアルな実態みたいなものをきちっととらえているかどうかというと、そんなことはないと思います。そういうことは時間をかけないと、わかってこないところがたくさんありますから…。

 

 今回の地震で日本人はみんなびっくりしたわけですよね。そうして、「人間はすごく弱いものなんだ」、「みんな助け合わなければいけないんだ」、あるいは「管理が悪い」ということに強烈に気がついたところがあるわけです。

 アランという人の「驚いて目を覚ました人は、目を覚ましすぎる」という言葉があるのだけれども、強烈に気がついたということは、ちょっと気がつきすぎという部分もある。そういう経験は行ったり来たりしながら、だんだん、真実に近づていくんだと思うんですね。おそらくこれから揺り戻しがありますよ。

 

 あの咄嗟の場合にまったくミステイクがなく、多くの人がきちっとリアルに対応できると考えるほうがおかしい。だからいいんだとは言えないけれども、その時のミステイクは徹底的に追究するという種類のものではないということはわかっているとは思いますよね。それはリアリティがないし、そんなものをほじくったらきりがないもの。「結婚したら片目をつぶれ」というではないですか。あれと同じで、世の中は片目をつぶっていないと付き合えない(笑)。

 

 オイルショックやバブルにしても、日本全体としては克服できるという、ある種のいい意味での自信もあっただろうし、奢りもあっただろうと思います。でも、神戸の場合は、思ってもいないほどの自然の力だった。無力だった部分が大きいというか…。何よりあの火事ですよね。目の前で火事がひろがっているのに止められない。茫然と見ているしかないというショックは大きかったですね。

 

 いまなお、炊き出しの鍋がないという話がある。あんなに義援金が行っているのに、避難所に鍋がないなんてことは考えられないですね。なぜ鍋がないのかわからない。地震が起きてまだ二か月ですから、本当に何が起こっていたのか、リアルには考えられないところがあると思います。そんなに早く書き手が反応してはいけないですよね。

 

 災害とか戦争とか危機があると、敗戦後の例えば、軍部は間違っていたというような、もちろん間違っていたのだけれども、一方で画一的な共産主義は素晴らしくて、民主主義も素晴らしくて、と言いすぎてしまうような興奮に取りつかれることがあります。これからもう少し冷静になっていくんでしょうね。それが自然なことで、急いではいけないと思う。社会全体が「ああ、あのことはこういうことだったのか」と気がつくには、かなり歳月を要しますね。

 

 女主人がみんなに「大丈夫よ、わかるわ」と言って、自分も言ってもらって、ひとりきりになった時に軽く地震があるんです。ママがひとりで立っていて「あれ、地震」と言う。今の段階だとお客さんは「えっ、本当に地震かな」と本当に思わないかなという気持ちもあるんですね。不安を共有してしまうという、そういう狙いもこの作品の中にあるんです。

 

 もちろん、観ている人がいろいろに解釈できるような“作品”であったらと思います。いろんな側面があるからこそ、芝居とかドラマは面白いんでね。しかし、言うのは簡単で、なかなか難しいですが、そういう力強い作品を書かなければならないと思っています。

 以上、「週刊金曜日』1995年3月17日号より引用。

  

 東日本大震災原発事故を経たいまの状況にも当てはまる内容だが、このインタビューは1995年の阪神大震災直後(地下鉄サリン事件直前)に行われたものである。

 引用者がこのインタビュー記事を持っていたのは全くの偶然で、この舞台『夜中に起きているのは』(1995)も見る機会がなかったのだが、世相の読み解き方はいかにも山田太一先生らしい語り口で、言っても詮ないことながら、いまこそこの舞台を見たいという思いに駆られる。 

日本の面影―舞台戯曲

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