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大河原孝夫 × 手塚昌明監督 トークショー レポート・『誘拐』(3)

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【回想の助監督時代 大河原孝夫編】

大河原「学生時代に、日大に森田芳光ってのがいるよとか聞いてました。

 当時は、撮影所を合理化しようという流れだった。(新人は)なかなか撮影所に回してもらえなくて、後輩は(面接で)撮影所希望と言って落ちた。ぼくと三好邦夫はシナリオやシノプシスを出してたんですが、藤本(藤本真澄)さんがそんなに言うなら行かしてやるよと」 

 

 そして、助監督として『日本沈没』(1973)に参加した。このときが『誘拐』(1997)でも組む木村大作カメラマンとの出逢いであったようである。

 

大河原「(助監督は)全部で8人でした。資料専門の人とか。そのときはカチンコなんて、打ち方も判らない(笑)。

 2本目は、『野獣死すべし 復讐のメカニック』(1973)。(『日本沈没』につづいて)また藤岡(弘、)さんか(笑)。3本目は『ノストラダムスの大予言』(1974)。こんなのやるのかって(笑)」 

 木村大作の存在は、監督の言動にも大きく影響していたらしい。

 

大河原「降旗(降旗康男)監督なんかは(木村さんがいると)何も言わなかった。カメラがうるさいから、大人しい。カメラが木村さんでないときは、ガンガン言ってたらしい。監督とカメラさんにガンガン言われちゃかなわないから」

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 黒澤明監督の時代劇『影武者』(1980)にも参加。

 

大河原「『影武者』は、黒澤映画を見て育った世代だからやりたいと希望した。出演者は黒澤さんが面接して、自分も全部つきあいました」

 

 この作品は、主演の勝新太郎と黒澤監督が撮影中に衝突。代役に仲代達矢が起用されるという経緯があった。

 

大河原「勝さんが、(自分の演技を)マネージャーに(ビデオで)撮影させたいと言ったら、(黒澤さんは)監督はおれだと。(スクリプターの)野上照代さんが慌てて間に入って、“きょうは帰ってもらいましょう”と。黒澤さんは、勝さんがビデオを見てこうしたらいいとか思うのがまずい、演技の指導はおれがやる、と。

 それで代役は誰にするかで野上さんが動いた。(みなの)切り替えは速かったです」

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  長い助監督生活を経て、1991年にサイキックホラー『超少女REIKO』の脚本・監督を担当した。

大河原「黒澤さんの自伝とか読むと、助監督はホン書くものだと。なかなか書けるものではないけど、そう簡単に監督になれそうもないから。40過ぎたら(監督)やらせてやるというのは、昔の話。そこで何か形として、自分に付加価値をと。外の評価があれば見直すかなって」

 

 そこで大河原監督は、日本映画製作者連盟が運営するシナリオ新人賞・城戸賞に『REIKO』のシナリオを投稿し、準入選。4年後に、観月ありさ主演で映画化にこぎつける。

 

大河原「黒澤さんも好きだけど、『エクソシスト』(1973)とかも嫌いじゃなかった。

 監督デビュー作の予算は、せいぜい2億。だから『ヘルハウス』(1974)みたいにひとつの舞台にしようとバジェットを考えて、それで学園ものに。主演に観月くんが決まるまで、2年くらいかかりました。特撮は浅田(浅田英一)さんについてもらって」

 

 助監督は、手塚監督が務めた。

 

手塚「粉の上に足跡がつくシーンとか、浅田さんとモーションコントロールカメラでコマ撮りしました。毎日、仕掛けがいっぱい(笑)」

大河原「普通なら特撮班を(別途に)組むんだけど、バジェットがないんで」

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 【回想の助監督時代 手塚昌明 (1)

 東宝の社員助監督を長らく務めた大河原監督と異なり、手塚監督はフリーの助監督であった。当初はにっかつの助監督であったが、流れで東宝の仕事が回ってくるようになった。

 

手塚1977年に土曜ワイド(劇場)が始まって、三本目に山口百恵の『野菊の墓』(1977)についた。百恵の映画『霧の旗』(1977)と同じ(西河克己)監督で。山口百恵つながりで映画『古都』について、(『古都』の監督だった)市川崑つながりで東宝へ来ました。百恵の作品はにっかつだったから、東宝の食堂はにっかつと違うなあって(笑)。

 東宝へ行ったら『惑星大戦争』(1977)が当たったって言ってたけど、当たったのは(併映の)『霧の旗』だよ(笑)。当時は、盆暮れは百恵で、併映は適当(笑)」

 

大河原「『惑星』は応援で参加しただけなので、詳しく知らないけど、福田純監督がタイトルで星が流れるようにできないかと。できなかったんだけど、(流星のようにスライドインする)クレジットが特徴的なのはその名残りですね」(つづく)

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