私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山田太一講演会 “いま生きていること” レポート (3)

【ドラマについて (2)

 小学一年生ならこれを書いたりできるとか、限定できる。でも年をとると、男性でも女性でも差が出てくる。こうだ、とは言えない。複雑なものを捉えなくちゃいけない。すると社会科学もいいけど、広い意味での文学で捉えられるんじゃないかな。でもいまのテレビはこういうほうに向いていなくて、犯人は誰かとかってほうを向いてる(一同笑)。

 ドキュメンタリーになると、その人に立ち入れない。夫婦喧嘩とか撮らせてくれないし(一同笑)、誰かを殺したいとかそういうところに踏み込めない。

 フィクションならどんどん書ける。どんな思いをいだいてどんな現実を捉えているか。でもそういうのがどんどん排除されて、気晴らしだけが優先される。ぼくは年とったから、もういくらも書けませんが。

 

【その他印象に残った発言】

 モンテーニュ、アランといったアフォリズムがいい。哲学者は体系を書く。でもぼくは、そんな理路整然と世界を捉えるなんて嘘だろうと、人間はぐじゃぐじゃですから。ドラマでは秩序をつくるけど、現実の人生は完結しない。死ぬぞと思って死ぬ人は幸福な人で、大抵の人は、死ぬときは途中で死ぬ。すると体系じゃなくてアフォリズムフーコーとかニーチェとか思いついたことを言うって人のほうが人生の機微を捉えてるんじゃないかと思えて好きですね。ヘーゲルとかは、よくわからない(一同笑)。矛盾したことが素敵だと思ってしまう。

 

 世代的に、文字は教養という思いがある。考え方の基本に文字があるというか。

 でも九段下に用があってときどき行くんですが、以前は切符を買わなきゃ行けないから、武道館でコンサートが終わると(混んでいて)買うのが大変。新横浜のアリーナとか、新幹線の駅でも若い人がたくさん降りる。何事ですかというと、アーティストのコンサートだと。こんなに人がたくさんいると、単なる気晴らしじゃなくて、文字では捉えられないものがあるのかもしれない。

  

 どんな人でも死ぬ瞬間、麻薬みたいなものが出て、圧倒的な恍惚感が出るんだという話があるんです。誰が言ってたのか忘れましたが。全然証明できないんだけど(一同笑)、ちょっといいなと。死ぬ瞬間に恍惚感、満足感が出る。欺瞞かもしれませんが、欺瞞でもそれは救いになる。

 大体男は欺瞞で生きていて、女の人のほうがリアリズムですね。男は変なもの集めたりするでしょう。骨董品とか、大体男ですね(一同笑)。そうやって男は現実から逃れようとする。

 男女共同参画の頃、ある女性評論家と対談したんですね。そのとき口が滑って、うちは女の子だから人形が好きと言ってしまって、そうしたら相手が“女だとどうして人形が好きなんですか? あなたが人形を与えたからで、うちの子は女の子だけど機関車が好きです!”って言われて(一同笑)。給料が違うとかそういうのはダメだけど、男女は好みも平等かっていうとね、男と女は違うんじゃないか。チャンスは平等にっていうのは賛成してもいいけど、男女は違うから素敵なんじゃないかな。

 冬山に登ろうなんてのも男ですね。あれ、あぶないでしょ(一同笑)。救助隊に助けられたりして、女の人のリアリズムなら止めますね。

 

 恋愛なんて病気、愛なんてそんなのないって思うんだけど、それで人生を生きていこうと思うと大変ですね。恋も愛も、あったほうがいい。それを解体・分析してエゴだというのも、そんなような気もするけど、若いときに(相手に)会ってドキドキするのが愉しいっていうのもあるんで、全部嘘じゃないかっていうのも哀しい。ぼくたちは、味気ない現実だけでは生きていけないんですね…。

 

 

 講演後、ホールの出口で山田先生を出待ちして、エッセイ集『逃げていく街』(マガジンハウス)にサインしていただいた。「(主催の)○○の会の人ですか」と聞いてこられたので、「いえ、ネットで情報を見つけたんです」と言うと、「そうですか、ありがとう」と丁寧に答えてくださいました。

 この週は数日後にまた山田先生の講演会虎ノ門であり、そっちにも行くという、筆者にとっては山田太一WEEKであった(爆)。    

 

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