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田畑智子 × 榎戸耕史 トークショー(甦る相米慎二)レポート・『お引越し』

  故・相米慎二監督の特集上映 “甦る相米慎二” にて上映された『お引越し』(1993)は、両親の離婚を経て変わっていく小学生女子・レンコ(田畑智子)を描いた傑作である。脚本は、映画『サマーウォーズ』(2010)やテレビ『夜行観覧車』(2013)などで知られる奥寺佐渡子が手がけている(小此木聡との共同)。

 21日、渋谷のユーロスペースにて『お引越し』の上映後に、田畑智子さんのトークショーが開催された。『お引越し』はもとより評価が高い作品であるゆえ、映画館はぎっしり満員。筆者は、通路に座って見るのは90年代の『ドラえもん』の映画以来久々である。

 上映終了後、すぐに田畑さん登場。トークの相手役は『お引越し』をはじめ多数の相米作品で助監督を務めた榎戸耕史監督(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや、整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 撮影時に11歳だった田畑さんの『お引越し』出演のきっかけは、京都・祇園にある実家の料亭にたまたま相米監督たちが来たということらしい。

田畑「お客さんが来ているから、ちょっとご挨拶に行ってらっしゃいと。姉と三人で行ったら、そこに相米さんとスタッフの方がいて、話して、終わった後にあれは何だったんだろうと。その日の夕方、私だけ呼ばれて行ったら、ホテルにスタッフの方が20人くらいくらいいたんです。お芝居やテレビはほとんど見ていなかった。引っ込み思案でお客さんに挨拶もできなかったのに」

榎戸相米さんは上のお姉さんじゃなくて、下の子じゃないといやだ、撮らないと」

 

 映画のワンシーンのような、運命の出逢いだった。

 

田畑「後日東京へ来てって言われて、最終オーディションは東京で5人でした。中目黒の坂を走ったり、台詞を読んだり」

 

 オーディションに合格した田畑さんは8000人以上の候補者の中から選ばれることになった。

 

田畑「撮影に入るまではごねた。東京からいろんな方が説得に見えました。おばあちゃんに「一回でいいからやってみなさい。厭だったらやめていい」と言われ、そうなんだと」

 

 撮影は夏なので春からリハーサルが始まった。3か月、父親とボクシングごっこをするシーンの練習で立命館大学のジムへ行ったり、助監督と公園で大きな声を出したりしたという。

 夏になっていよいよクランクイン。田畑さんが在住した京都での撮影だが、親元を離れて合宿所に泊まったという。

 

田畑「どうやって逃げよう、違う門から帰ろうかとか。合宿所は撮影所の近くで「帰るな」って言われて、泣きながら電話しました。家に帰ったけど、結局また戻って「あーあ、戻っちゃったな」って」

 

 後半、祭りの夜にレンコがひとりさまよう長いシーンがある。この件りは台本になかった。

 

田畑「何でこんな草むらに連れて行かれるんだろうと。人通るの?ってところを登って行けとか、降りて行けとか(笑)。お前はいろいろ経験していくんだぐらいの説明なので、理解していなかったですね。ただもう一回、もう一回と」

 

 どこは悪いという細かい指示はなく、ただ繰り返した。その証言は他の相米作品の出演者とも共通する。

 

榎戸「スタッフはみんな、智ちゃんと何を話しているのかなって。こっちは(土地勘がなく)位置もよくわからないから」

田畑「(ロケ地は)滋賀県に近いところですね」

榎戸「スタッフもただ連れて行かれて、山の中で見てるだけ」

 クライマックスで、過去の幸せだった時間の情景がレンコの目の前に現れる。そのまぼろしが消えていくのを見て、レンコは過去の自分を抱きしめる。彼女は幸せだった時間がもう帰ってこないことを悟り、受け入れたようである。

 

榎戸「夢のシーンは、もうひとりのレンコは吹き替えですけど」

田畑「そこでも何も言わないんです。1回しかできないからしっかりやれと」

 

 水上神輿が燃えるので1回しかできないということだろう。

 

榎戸「でもそんな指示でしっかり演技したんだから、あなたは天才ですね」

 

 1992年夏の撮影を経て、翌93年の春に公開。田畑さんはその年の新人賞を独占した。

 

田畑「中学1年になったときに公開されて、お友達と見に行きました。それ以来見ていなくて。見られなかったですね。恥ずかしい気もして、家にDVDはあったんですけど、ずっと封も開けずに一昨年にやっと」

榎戸「フィルメックス(2011年の東京フィルメックスにおいて相米作品が上映され、田畑さんも出席)の前ですね」

田畑「見たら、台詞が全部入ってた(覚えていた)んです。びっくりしました」

榎戸マトリョーシカじゃないけど、いまの智ちゃんを開けるとレンコが入ってるみたいな(笑)。去年、パリ(のシネマテーク・フランセーズ)で『お引越し』が上映されたときも、11歳の智ちゃんが絶賛されてましたよ」

 撮影中は、相米監督に「タコ」「がきんちょ」などと言われつづけたそうだが、新人賞の授賞式で再会したときには、初めて「田畑くん」と呼んでくれたという。

 2013年、田畑さんは、『ふがいない僕は空を見た』(2012)により、毎日映画コンクール主演女優賞を受賞。過去に『お引越し』では同新人賞、『隠し剣 鬼の爪』(2004)で同助演女優賞を獲っておられる(榎戸さんによると「毎日映画賞の三冠達成は初めて」)。円熟した“田畑くん”が再度相米映画に登場することはもうないが、相米監督の力によって、『お引越し』には将来の三冠女王の幼い頃のきらめきが焼きついている。

 

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