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私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

時は…・長谷邦夫『漫画に愛を叫んだ男たち』

藤子不二雄 書籍 批評・感想

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 足かけ50年前、若き漫画家たちが集った豊島区のアパート“トキワ荘”。住まいにしたのは、すでに売れっ子の手塚治虫をはじめ、無名だった藤子・F・不二雄、藤子不二雄A石ノ森章太郎赤塚不二夫などの漫画家たち。彼らがブレイクすると、トキワ荘は巨匠を生んだ伝説のアパートとして名をはせた。『20世紀少年』(小学館)にも新人漫画家の住む“常盤荘”というネタとして登場している。


 そんな漫画家たちのリーダー格だったのが、寺田ヒロオ。


 寺田は『くらやみ五段』『スポーツマン金太郎』(サラリーマンではなく!)など、ほのぼのとした癒し系スポーツマンガを多く発表、195060年代にかけて活躍した。手塚治虫よりは年下だったが、その他の若い漫画家の中では最年長だったこともあり、彼らの精神的支柱にもなったという。



 藤子不二雄Aの自伝マンガ『まんが道』(中公文庫)に登場する寺田ヒロオは、いつも優しく、時に厳しい、魅力的な熱血漢。藤子不二雄A藤子・F・不二雄トキワ荘に引っ越してくるにあたって、先住者として手紙で細かい助言をしてくれたという。仕事で失敗した藤子コンビが漫画家廃業を相談すると「きみたちのまんがにかける情熱は、そんな甘っちょろいものだったのか!」
と真剣に叱咤激励する。


 生活苦で追いつめられていた赤塚不二夫に、寺田がお金を気前よく用立てるという印象的なエピソードもあった。


 藤子や赤塚が、その後にヒット作を出して大成したのには、寺田の存在も大きかったのである。


 

 石ノ森章太郎のエッセイ『章説 トキワ荘の春』(清流出版)には、寺田の印象について、
「優しさと頼もしさと、清々しい初夏の太陽の輝きと匂いを持った“兄貴”」
と書かれている。本やレコードを買いすぎて部屋代が払えない石ノ森(彼は赤塚と違って売れていたようだが)は、毎月のように寺田に借りに行っていたそうである。



 

 時代の流れについていけなくなったとして、寺田は1970年代に断筆し、姿を消した。あきらめるなと後輩たちを熱く鼓舞していた寺田が、マンガを止める…。


 やがて藤子Aや石ノ森たちがトキワ荘時代の想い出をマンガやエッセイで発表し始めると、寺田ヒロオは、作品よりも本人が伝説の存在となっていった(筆者も、機会がなくて、寺田のマンガは数えるほどしか読めていない)。



章説 トキワ荘の春 (石ノ森章太郎生誕70年叢書シリーズ)

章説 トキワ荘の春 (石ノ森章太郎生誕70年叢書シリーズ)

 

 2004年、赤塚不二夫のブレーンを務めていた長谷邦夫が『漫画に愛を叫んだ男たち』(清流出版)を発表した。トキワ荘の人びとが、その後たどった道を冷静に追った、やや衝撃的な一冊である。赤塚不二夫との別れや、藤子不二雄コンビの解消は双方の家族やマネージャーが揉めたのが要因であったことなど、生々しい話が書かれている。

漫画に愛を叫んだ男たち トキワ荘物語

漫画に愛を叫んだ男たち トキワ荘物語

 

 長谷邦夫は、1957年に漫画家デビュー。トキワ荘に出入りして(住んではいない)、赤塚不二夫石ノ森章太郎と交流を持った。その後は赤塚のブレーンとして赤塚マンガのアイディアや作画を手がけ、赤塚の文章のゴーストライターも務めたという多才な人物である。中高生くらいを対象にした赤塚のエッセイ『落ちこぼれから天才バカボンへ』(ポプラ社)は、漫画家としての活躍や若きタモリを発掘したエピソードなどが記されており、中学生の私は面白く読んだ記憶があるけれども、もしかするとこの本も長谷が書いたのかもしれない。

  トキワ荘に集まって修行した、若き日々。
寺田ヒロオは、悩む赤塚の作品について助言し、お金も貸す。藤子A『まんが道』でも、印象的なシーンである。

 



「寺田は何から何まで気づいてくれる男だった」(

『漫画に愛を叫んだ男たち』)

 

 やがて赤塚は、『おそ松くん』をヒットさせた。すっかり人気作家になって、ベンツを乗り回してホステスと遊ぶ赤塚。

 



「シャイでちょっと自信のなさそうな赤塚を知る仲間たちは、一種驚異の目で見ていた」(同上)

 



 いつしか赤塚はタレント文化人と化していき、新人の頃から彼を支えたスタッフは去っていく。浴びるように酒を飲むようにもなっていった。


 1989年、手塚治虫の葬儀で、赤塚は寺田ヒロオの妻に声をかけられた。断筆してから、寺田は酒びたりの日々を送るようになってしまったという。



 

「うちの人の生活、どうしたらやめてくれるでしょう。赤塚さん助けてくださいって言われたんだ。でも、おれに助けろと言われても、おれ自身が依存症だものなあ…」


 返す言葉がなかった」

(同上)

 

 赤塚にとって寺田は恩人のはずだが、30年以上の時間を経て人間関係は哀しいほどに変容していたようである。


 やがて、酒を飲みつづけた寺田ヒロオは、自宅の離れで死んでいた。

 



「商業主義の漫画雑誌界に絶望して、筆を折ったと言われた、その結果が酒に溺れての衰弱死とは…。老いることの無惨さを自分にも突きつけられるようだ」

(同上) 

 

 長谷も、赤塚のもとを離れた。そのくだりで、本は素っ気なく終わる。
赤塚作品はアニメで見ていた程度で、それほど詳しく知っているわけでもない筆者も、思わず心ふるわせてしまう一冊である。



 病に倒れた赤塚は2004年から植物状態となり、2008年8月、遂に死去した。葬儀で藤子不二雄Aは、
「トキワ荘の仲間はほとんどいなくなった。ずーっと兄弟のように付き合ってくれてありがとう」
とコメントした。

 

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