「止まった手のひら ふるえてるの 躊躇して
この空の 青の青さに心細くなる」(「Swallowtail Butterfly~あいのうた~」)
カラオケに行くと、誰からともなく唄われることがある「Swallowtail Butterfly~あいのうた~」。CHARAが1996年にYEN TOWN BAND名義で発表した曲である。聴く音楽の趣味が異なる者どうしでも静かに合唱したことが幾度かあるので、少なくとも筆者を含む1980年代前半生まれの人びとにはこの曲がささやかな世代体験としてあるのではなかろうか。
この曲は岩井俊二監督の映画『スワロウテイル』(1996)の主題歌だった。劇中でCHARA演じるヒロインが曲をヒットさせて、スターの階段を駆けのぼる。YEN TOWN BANDはそのヒット曲を出したバンド名という設定だった。CHARA のほかに三上博史、江口洋介、渡部篤郎、山口智子など当時の人気者が顔を揃えた話題作であるけれども、実際の内容は決して万人受けすると思えないほど作家性が強い。
円がいちばん強かった時代、円都(イェンタウン)と呼ばれる街が広がり、そこにはさまざまな人びとが集っていた。娼婦(CHARA)と、偶然に出会ったみなしごの女の子・アゲハ(伊藤歩)。娼婦の恋人(三上)も加わって贋札づくりが始まり、娼婦は人気アーティストにのぼりつめる。やがて訪れる挫折。
「信じるものすべて ポケットにつめこんでから
夏草揺れる線路を 遠くまで歩いた」 (同上)
香港映画『いますぐ抱きしめたい』(1988)などのパクリだなどとの批判を浴びつつも、『スワロウテイル』は話題になり、主題歌もヒット。宣伝のためのバラエティ番組だけでなく『筑紫哲也ニュース23』などでも岩井監督が取り上げられるなど、ある種の社会現象を巻き起こした。だが15歳未満は鑑賞禁止というR指定で当時中学生だった筆者は見に行けず、もどかしく感じたものだった。
晴れて高校生になって(?)さっそくビデオを借りてきたものの、判りづらいストーリー展開、暗い映像、バッドエンドとエンタテインメントからほど遠いありさまにとまどった記憶がある。気晴らしにと思って劇場へ足を運んだカップルなどは、メジャー映画の装いと落差の大きい内実に何を思っただろう。
バラード調の「あいのうた」は暴力シーンの多い映画と不似合いだという声もあるようだが、虚無感に満ちたラストシーンとノスタルジックで優しい曲とがこの上なく合っているように感じて強い印象を受けた。喪失感を感じさせる歌詞、アンニュイな歌声が、スターの失墜や調子のいい男の哀しき破滅を癒しているように思えたのである。それは作り手の狙った効果ではなかっただろうか(この作品をめぐる喧噪に懲りたのか、岩井はメジャーな仕事から撤退していった)。
「汚れた世界に 悲しさは響いてない
どこかに通りすぎてく ただそれを待つだけ」 (同上)
歳月は流れ、90年代は “失われた10年” などと総括されるようになった。
ひとりよがりなほどに作り手の情念が叩きつけられた『スワロウテイル』は “失われた” 90年代そのままに、映画史の隅に置き去りにされている。カラオケで「あいのうた」を唄う人にも意外なほどこの映画のことは知られていない。
けれども「あいのうた」を聴いたり唄ったりする度に忘れ去られた映画を、不機嫌な時代の風の中にいたことを思い返してしまう(同じ時期にブームになっていた『新世紀エヴァンゲリオン』〈1995〉が映画でリメイクされて話題となっているいま、そろそろ再評価されてしかるべきでは…)。
「ここから何処へいっても 世界は夜を乗り越えていく
そしてあいのうたが 心に響きはじめる」(同)