飯島敏宏
【『ウルトラマン』の想い出 (2)】
【『ウルトラマン』の想い出 (1)】 古谷「俳優になったらやりたいポーズのひとつで、ジェームス・ディーンの『理由なき反抗』(1955)のときの構えるポーズ。東宝の俳優になっていつかはやりたいと。ウルトラマン役でできた(笑)。(飯島監督にそのことは)…
【特撮現場の飯島監督(2)】 『ウルトラマン』(1966)の第5話「ミロガンダの秘密」では植物怪獣が登場。 古谷「初日は目が見えなくて、なかなか慣れないし。カメラも35ミリででかいし、照明も熱かったしねえ。(最初の相手は)グリーンモンスで(植物怪獣…
【『ウルトラマン』での飯島監督】 『ウルトラマン』にて飯島監督は第2・3・5話をまず撮っていて、その3本はシリーズのクランク・インで第1話よりも先に制作された。 桜井「『ウルトラマン』になると毒蝮(毒蝮三太夫)さんと小林(小林昭二)キャップはTBS…
『ウルトラQ』(1966)、『ウルトラマン』(1966)などで監督・脚本を務めた飯島敏宏。2021年に逝去した飯島氏を追悼する上映とトークイベントが2021年12月に鶴川にて行われた。
2021年10月に逝去した飯島敏宏監督はバルタン星人の生みの親としても知られる。テレビ『ウルトラマン』(1966)でバルタン星人を初登場させた飯島は、歳月を経て映画『ウルトラマンコスモス』(2001)やテレビ『ウルトラマンマックス』(2005)でもバルタン…
【戦争について (2)】 小中氏は、飯島監督の映画『ホームカミング』(2011)では監督補を務めた。
【初期ウルトラや円谷一の想い出 (2)】 『ウルトラセブン』(1967)の後には、サスペンス『怪奇大作戦』(1968)がスタート。 小中「『セブン』から『怪奇』と、子ども向けでない方向へ行きますよね」 満田「子ども番組と思ったことはないよね。日曜日7時だ…
【『ダイゴロウ対ゴリアス』について (2)】 『ダイゴロウ対ゴリアス』(1973)は “東宝チャンピオン祭り” の枠組みでわずか10日間のみの上映だった。 小中「子どもだから気にしなかったけど、そうだったんですね。当時の円谷プロの認識としてはヒットしなか…
大食いの怪獣・ダイゴロウはみなに持て余される一方で、冴えない発明家(犬塚弘)や町のおじさん(三波伸介)、飼育係(小坂一也)、子どもたちにかわいがられていた。あるとき隕石に乗った宇宙怪獣・ゴリアスが襲来し、地球の危機にダイゴロウは立ち上がる。
【木下惠介監督の想い出 (2)】 小倉「木下監督を偲んで、松原信吾と三村晴彦と何故か小倉一郎で「キネマ旬報」で鼎談したんですよ。そのとき聞いたのは、ロケハンで木下さんはベンツに乗って、助監督は他の車で県道と国道を勘違いして迷っちゃった。それで木…
【木下惠介監督の想い出 (1)】 飯島「木下惠介プロをつくったころの木下さんは、いまのぼくよりずっと若い。還暦かな。スタートしたパーティは、還暦のお祝いだったの。
【『冬の雲』(2)】 飯島「(『冬の雲』〈1971〉の)1回目の本読みが終わった後の稽古場で、木下(木下惠介)さんが「飯島くん、相談がある。あの人、どうしても違うんだけど」って。それが早川保さん。お詫びして降りていただいて、その代わり別の番組に出て…
【『泣いてたまるか』(2)】 仲「前田吟さんがミリタリールックだよ」
木下惠介脚本『冬の雲』(1971)のプロデュースなど、多数のテレビ・映画作品を手がけた飯島敏宏。
【「京都買います」(2)】
【「霧の童話」(2)】
壁を突き抜ける怪盗、消える仏像、受話器をとると燃えあがる人間、夜ごと現れる落ち武者の亡霊。謎めいた不可思議犯罪に専門チーム・SRIが挑戦する。
【木下プロ以後 (2)】 映画『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス』(1973)を撮ったのは、既に木下プロにいた時期だった。
【ウルトラシリーズ (2)】 飯島監督は、『ウルトラマン』(1966)でバルタン星人の登場する「侵略者を撃て」と「科特隊宇宙へ」の脚本・監督を担当。
【時代劇のエピソード (2)】 飯島「松田(松田定次)さんは、テストは自分でおやりになる。西の時代劇の監督はね。滝沢英輔監督も国際放映で、全部自分で芝居をやるんですよ。山田洋次さんみたいな伝統的な監督は何度もテストやらせてくたびれさせて、最後に…
『ウルトラマン』(1966)や『ウルトラセブン』(1967)、『金曜日の妻たちへ』シリーズ(1983〜1985)など多数のテレビ・映画作品を手がけた飯島敏宏監督。2017年に自伝エッセイ『バルタン星人を知っていますか?』(小学館)を発表した飯島氏だが、刊行を…
【新東宝時代の想い出】 矢代京子氏は、中川信夫監督の新東宝映画『ひばりが丘の対決』(1957)にて初めて重要な役を演じた。
【『それぞれの秋』(2)】 演出の井下靖央は、『それぞれの秋』(1973)により第14回日本放送作家協会賞演出者賞受賞。
【木下惠介監督について (2)】 小倉「木下(木下惠介)さんは強かった。飲んでも変わらない。なんかのパーティのときに「一郎!」って呼ばれて、おかわりかな、でも入ってるなと思ってたら「おしっこ」って行っちゃう(一同笑)。
【テレビ創生期の想い出 (2)】 飯島氏は、円谷プロダクションの『ウルトラQ』(1966)や『ウルトラマン』(1966)や『ウルトラマンマックス』(2005)などでは千束北男名義でシナリオを執筆。
『二十四の瞳』(1954)や『永遠の人』(1961)の巨匠・木下惠介監督がシナリオを手がけ、伝説的に語り継がれるテレビ『冬の雲』(1971)。挿入歌「ポーリュシカ・ポーレ」もヒットした。
【『セブン』について (2)】 『ウルトラセブン』(1967)の第40話「セブン暗殺計画(後編)」には、砂山での戦いのシーンもある。