私の中の見えない炎

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山田太一

山田太一 トークショー “山田太一ドラマの名セリフと山田太一の愛した文学、哲学” レポート

東京・浅草は田原町の書店 “Readin' Writin'”にてイベント“山田太一ドラマの名セリフと山田太一の愛した文学、哲学”が行われた。脚本家の山田太一先生もシークレットゲストとして登場し、30分程度のトークがあった。

対談 山田太一 × 宗雪雅幸 “日本人が失ってきたもの。これから培っていくべきもの”(1992)(6)

対談 山田太一 × 宗雪雅幸 “日本人が失ってきたもの。これから培っていくべきもの”(1992)(5)

対談 山田太一 × 宗雪雅幸 “日本人が失ってきたもの。これから培っていくべきもの”(1992)(4)

山田 あの頃は、一生懸命働けばそろそろみんなにもマイホームが手に入るという時期になってきて、でもまだ入らない人も随分いたわけです。ですから「マイホームのために働いているんだ、文句言うな」と言えば、結構まだ通用した時代なんです。しかし、奥さん…

対談 山田太一 × 宗雪雅幸 “日本人が失ってきたもの。これから培っていくべきもの”(1992)(3)

山田 まだインテリというのが選ばれた人で、薫りがあるんです。まいったと思いました。そういう味わいは、ドラマでは味わいがなくてとても出せませんでしたけれども、いいものだなと思いました。中村光夫さんの『戦争まで』という、第二次大戦が始まるまで、…

対談 山田太一 × 宗雪雅幸 “日本人が失ってきたもの。これから培っていくべきもの”(1992)(2)

宗雪 たまたま“美しい日本人”という話が出ましたけれども、私どもの会社の近くに青南小学校があって、そこに「降る雪や明治は遠くなりにけり」という中村草田男さんの句碑があるんです。中村草田男さんは、青南小学校で先生をなさっていたんですが、あの人も…

対談 山田太一 × 宗雪雅幸 “日本人が失ってきたもの。これから培っていくべきもの”(1992)(1)

脚本家の山田太一先生が、富士写真フイルムの宗雪雅幸・専務取締役と対談した記事を入手した(「FGひろば」Vol.81)。「新春特別対談」と銘打っているものの、当然ながら対談は前年(1992年)の末に行われたとおぼしい。そこで標題は1992年のものということ…

山田太一 インタビュー “家庭の現状を偏見なく見てドラマに反映したい”(1978)

脚本家・山田太一氏の声価は、テレビ『男たちの旅路』シリーズ(1976〜1982)や『岸辺のアルバム』(1977)などによって、1970年代終わりに高まった。その時期に「若葉」紙に載ったインタビューを入手したので、以下に引用したい。「シリーズ 私の“素直な心”…

飯島敏宏 × 小倉一郎 × 仲雅美 トークショー レポート・『冬の雲』『それぞれの秋』(6)

【『それぞれの秋』(2)】 演出の井下靖央は、『それぞれの秋』により第14回日本放送作家協会賞演出者賞受賞。

飯島敏宏 × 小倉一郎 × 仲雅美 トークショー レポート・『冬の雲』『それぞれの秋』(5)

飯島敏宏 × 小倉一郎 × 仲雅美 トークショー レポート・『冬の雲』(3)

【木下惠介監督について (2)】 小倉「木下さんは強かった。飲んでも変わらない。なんかのパーティのときに“一郎!”って呼ばれて、おかわりかな、でも入ってるなと思ってたら“おしっこ”って行っちゃう(一同笑)。

堀川とんこう × 中村克史 × 長谷正人 トークショー“山田太一ドラマの演出”レポート(3)

【『男たちの旅路/車輪の一歩』(2)】 中村「山田さんとつき合いのあった若者たちが稽古場へも来てくれて、車椅子から降りたらどうするかとか。少女(斉藤とも子)のアパートが階段になってるので、どうするか。匍匐前進みたいにするのを、稽古場で自らやっ…

堀川とんこう × 中村克史 × 長谷正人 トークショー“山田太一ドラマの演出”レポート(2)

堀川とんこう × 中村克史 × 長谷正人 トークショー“山田太一ドラマの演出”レポート(1)

脚本家・山田太一の代表作としてよく挙がるのが『岸辺のアルバム』(1977)と『男たちの旅路』(1976〜1982)。

山田太一 インタビュー“よき相互依存っていうのかな。人間、一人じゃなんにもできないんですよ”(1985)(6)

山田太一 インタビュー“よき相互依存っていうのかな。人間、一人じゃなんにもできないんですよ”(1985)(5)

山田「そのうち、映画もだんだん厳しくなってきて色々なことがあって。なんか脚本家になったほうが自分を自由に表現できるんじゃないかって思い始めたのね。もちろん外的事情もいろいろあって、それで七年間いて辞めちゃったんです。辞めてからはもうずっと…

山田太一 インタビュー“よき相互依存っていうのかな。人間、一人じゃなんにもできないんですよ”(1985)(4)

山田「一つ一つのシーンはチャーミングでね、面白いと思って見てるんだけど、よく考えると別に何のストーリーもなかったなっていうのが、僕の理想なんですよ。あとは現実の味わいをね、例えば恋人と二人で歩いてたりするときに楽しいっていう気がするとか、…

山田太一 インタビュー“よき相互依存っていうのかな。人間、一人じゃなんにもできないんですよ”(1985)(3)

山田「そりゃ(完成作品は)僕が考えていた最初のシナリオとはね、いかにそうやって俳優さん選んだって、色々したって、違うわけですよ。演出家が違うわけですから。その違いがマイナスの違いだって感じたときはね、怒ったり、議論したりする。そういうこと…

山田太一 インタビュー“よき相互依存っていうのかな。人間、一人じゃなんにもできないんですよ”(1985)(2)

山田「(『ふぞろいの林檎たち』〈1983〉では)じゃそれには誰がいいだろうかって。そういう試みは今までなかったですよね。既成のある一曲を使うってことは、僕も今までに何度もやってきてるけど。それで、サザン(サザンオールスターズ)がいいんじゃない…

山田太一 インタビュー“よき相互依存っていうのかな。人間、一人じゃなんにもできないんですよ”(1985)(1)

共立女子短期大学の国語専攻の方々が発行した機関誌「あかね」第31号(1986年4月発行)を、最近入手することができた。

山田太一 インタビュー(1985)・『ちょっと愛して…』

山田太一の薦める本(1996・1998)

意外な人が意外な本を推薦していると、こんな本を読んでいるのかと面白い。以下に引用するのは、脚本家の山田太一氏が薦める本である。山田氏が古今東西の文学について答えているのは時おり目にするが、20年前の「文藝春秋」ではビジネスパーソンに薦める本…

山田太一 インタビュー“ドラマを書いて思い知るのは、自分を根拠にできない他者がぎっしりいるということ”(1998)(2)

生身の人間がむき出しになるのが家族

山田太一 インタビュー“ドラマを書いて思い知るのは、自分を根拠にできない他者がぎっしりいるということ”(1998)(1)

最近、脚本家・山田太一氏関連の資料をいろいろ調べていて、1998年秋のインタビュー記事(株式会社アイキューブのサイトにあったのを、かつてプリントアウトしていた)が出てきたので以下に引用したい。自身が身を置くテレビの世界や家族など他の媒体でも触…

“山田太一セレクション”刊行記念 山田太一 トークショー レポート(4)

【『終りに見た街』】 嘘八百の話って好きなのね。そういうの書きたいけど難しい。これは小説だけど『異人たちとの夏』(新潮文庫)、ありえない話ですけどやっぱり難しい。

“山田太一セレクション”刊行記念 山田太一 トークショー レポート(3)

【東日本大震災を扱った3作品 (2)】 3年後に1本書きまして、震災をいろんな局面で書いて、『時は立ちどまらない』(2014)ですね。(見る人がどう思うか)いつもはらはらしてます(笑)。

“山田太一セレクション”刊行記念 山田太一 トークショー レポート(2)

【『想い出づくり。』】 (『想い出づくり。』〈1981〉の発想のきっかけは)女は25過ぎると値が下がっちゃうっていうジョークでした。何てことを言うんだと、うちの娘はすぐ適齢期になるから、そんなこと言うやつ許せないと私憤で書いた(笑)。

“山田太一セレクション”刊行記念 山田太一 トークショー レポート(1)

先日、銀座にて脚本家の山田太一氏のトークショーが行われた。山田氏の代表作である『想い出づくり。』(1981)や『早春スケッチブック』(1983)のシナリオが“山田太一セレクション”として復刊(里山社)されていて、刊行を記念してのトークである。話題は…

山田太一講演会 “宿命としての家族” レポート(3)

【高齢化と家族の現実 (2)】 家族が負担だから脱ぎ捨てたいと思ってる。そういうときにもう一歩踏み込んで、結局ひとりで生きて死ぬことを覚悟して。だんだんつまり家族ってものが、リアルに考えると、こんなことしてたら壊れてしまうと思って別の道をさがそ…

山田太一講演会 “宿命としての家族” レポート(2)

【『想い出づくり。』について (2)】 お嫁に行くのは若いのからなんて、それを笑いの種にして、いまだったら袋叩きですよ。じゃうちの娘は2、3年経つと売れ残るのか。そんなこと許せないと、私怨というか(笑)。この子たちを書いてみたいと思って。