山田太一 インタビュー「人間に大事なものは論理より思想より、存在。」(1994)(2)
相手の身になるといっても、例えば兄弟でもお父さんでもお母さんでもいいんですけれども、おなかが痛いと言ったとしますね。ああ、痛いんだろうなというふうに思うことはできるけれども、自分も痛くなるわけにはいきません。相手の身にすっかりなることはできません。だから理解というものには当然限界がある。どこまでいったって、完全に理解することはできません。ですから他人を理解しよう理解しようと思いながら生きていると、ああ、いつも私は至らない、理解できないっていうふうに、壁にぶつかってしまうわけですね。